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 投稿番号:100513 投稿日:2003年06月19日 00時20分52秒  パスワード
 お名前:宮本
初めてです:名馬池月伝説
キーワード:名馬池月
コメントの種類 :質問  パスワード

こんばんは。初めて書き込ませていただきます。あまり書き込みとかしたことがないので、よく分かりません。ルール違反していたらごめんなさい。

さて、私は学生です。学校の研究会で、高良大社の平家物語をほんじにするお手伝いをさせていただいていたんですが、こんなページがあったなんて…。びっくりしました。でも何かちょっと嬉しいですね。

いま、福岡県の小郡というところに、味坂という荘園があって、そこに残っている名馬池月の伝説の伝説について調べています。味坂は、かつて、高良山に芸能を奉仕していたひとたちや琵琶法師たちが、たまっていたところだそうです。その関係で、池月の伝説が残っているのではないかと思うんですが、どういうところから手をつけて調べていいのかよく分かりません…。ちょっとしたヒントみたいなものでも、ご存知でしたら教えていただければ幸いです。

[1]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 03時11分54秒 ) パスワード
  

宮本さん

初めまして。
「池月」って源平合戦で知られた「生吻」のことですか?

多分福岡県小郡の観光案内なんかに出てるかも知れませんね。

どんな伝説なんですか?

ひょっとして佐々木がそちらに領地を頂いて
その関係ですか?
[2]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 03時16分04秒 ) パスワード
  

鳥取でした:

http://www.east.tottori.tottori.jp/fukube/fukub6.htm

名馬池月の伝説
駟馳山に一頭の子馬が住んでいた。
母馬を早く亡くして、いつも母馬を捜して山中を走っていたため、健脚になり、
土地の豪族から将軍源頼朝に献上された。
それが、宇治川先陣争いで勇名をはせる佐々木四郎高綱の乗る名馬「池月」となった。
[3]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 04時40分59秒 ) パスワード
  

http://www.ensc.com/kaic/seikatu/minwa/meiba/index.html

こちらにも(桐生)にも同じ池月伝説がありました。
[4]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 04時48分16秒 ) パスワード
  

島根県邑智郡羽須美村阿須那10

の阿須那小学校のHPにも出てるそうですが
私のマシンからは行けませんでした。


昔、島根と鳥取は現在の県境とは随分違ってたそうなので
ひょっとすると上記鳥取の伝説と同じ伝説だったかも
です。
[5]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 04時53分38秒 ) パスワード
  

東京都大田区の洗足にも伝説がありました:

http://riverwest.hp.infoseek.co.jp/senzokuike3.html


或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現れ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。
家来たちがこれを捕らえて頼朝に献上した。
馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映る月光の輝くように美しかった。
これを「池月」と命名し頼朝の乗馬とした。


だそうです。
詳しくは上記へどうぞ。
[6]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 04時57分30秒 ) パスワード
  

http://popup2.tok2.com/home/kisoyoshinaka/ikezuki.html
にも出てます。
こちらは「美馬町」だそうです。
[7]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 05時00分24秒 ) パスワード
  

<伝説>というのは「人が語ったお話」という事なので
いろいろバージョンがあって良いのです。
それだけ「名馬池月」は人々に畏れられ愛された馬だったという事なのです。

味坂伝説はどんなだったのでしょうね?
(興味深々)
[8]川口 信さんからのコメント(2003年06月19日 07時49分08秒 ) パスワード
  

宮本さん、よくいらっしゃいました。

 上記[5]の洗足池の近くに住んでおり、名馬「池月」の銅像の前を毎日ワンちゃんの散歩で通っております。場所がちょっと暗いので、あまり撮影したことがないのですが、今度チャレンジしてみます。其の前に箱がありパンフレットが入っておりますので、見てきます。
 名馬「池月」を記念して、池月橋というのも最近になって作られております。

 洗足池に近くに「旗の台」という場所がありますが、源頼朝が旗揚げしたと言われているみたいです。

 他に分かったことがありましたら、お知らせします。

 この馬の銅像に跨りたい人もおりますが、禁止の立て札が横にあります。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 10時20分15秒 ) パスワード
  

>この馬の銅像に跨りたい人もおりますが、禁止の立て札が横にあります。

日本一の名馬なんですから乗せてあげればいいのにと思います。
それでこそ名馬の誉れも高まろう、と。
[10]川口 信さんからのコメント(2003年06月19日 10時33分23秒 ) パスワード
  

上記パンフを頂いてきました。下記は内容です。

 『名馬池月の由来』

 治承四年(1180年)源頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して、鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣からの味方の参加を待った。
 
 或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われた。そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。馬体はたくましくその青毛は、さながら池に映る月光の輝くように美しかった。これを「池月」と命名し頼朝の乗馬とした。
 
 寿永三年(1184年)有名は宇治川の合戦に拝領の名馬池月に佐々木四郎高綱が乗り、磨墨に乗った梶原源太景季と先陣を競い、遂に池月が一番乗りの名誉に輝いた、と史書に伝えられている。
 ここに名馬の銅像を造り、この名馬池月の発生の伝承を永く後世に伝えようとするものである。
 洗足風致区創立六十五年記念:社団法人洗足風致協会

 とあります。パンフの丸写しですが、八幡神社の氏子なので、許してくれると思いますので。

 池月の銅像ヲデジカメで撮ってきました。そのうちにHPの方にのせます。URLのとどっちが巧く撮れているか楽しみにしていてください。
 また、伊豆の方にも池月に関する場所があるみたいです。詳しくは下記URLで

 http://www9.ocn.ne.jp/~tanna/hp6.html
   伊豆のマホロバ丹那
[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 11時36分23秒 ) パスワード
  

川口氏とおっしゃる方が出て来ましたね。
不思議なことがあるものです。
[12]宮本さんからのコメント(2003年06月19日 15時45分59秒 ) パスワード
  

川口さま 暇つぶしのギャンブラーさま

ありがとうございます!ホームページ、いろいろ拝見させていただきました。とてもとても参考になりました〜。ありがとうございます。

味坂の池月伝説については、わたしもまだひとから聞いた程度なので、ごめんなさい…全然わかってないんですが、池月の塚といわれるものが残っていて、佐々木さんというお宅があり、そこにはお堀とかも残っているという話でした。うーん、近いうちに現地へ行って、写真など撮ってこようと思います。ちょっといつになるか分かりませんが…。

ホームページを見ると、池月の伝説は、母馬の面影を求めて水の中に飛び込むというタイプのものがけっこう多いようですね。鹿児島にも、これとそっくり同じ伝説が残っているそうです。鳥取の、山の中を走り回っていたので健脚になったという伝説は、これの変形みたいな感じもしますね。なぜこんなに様々な地域に伝説が残っているのか、興味深いですね。確かに池月が愛されていたっていうことはあるでしょうね。
[13]布袋竹さんからのコメント(2003年06月19日 20時51分56秒 ) パスワード
  

あれっー、池月の伝説が・
実は、鹿児島にも池月の名馬の伝説が・と言うより、民話に近いのかな・
九州一大きい、大鰻・イッシーで有名な池田湖にも、そんな伝説「民話」があります。
池田湖の回りは、開聞岳の麓にも近く、馬の放牧地が、いまもいっぱい残ってます。
頼朝から、名馬を探す様に言われた・・さがしにそして、生月「池月」の子馬が
目にとまり、それは、やがて先陣争いの佐々木氏が乗った馬で・
残された母馬は、子供を探したけど見つからず、谷に身を投げた。それを哀れんだ
村の人達が、観音様をそなえて・現在の池田湖の馬頭観音の言われです。
これは、児童文学者の椋鳩十の本の中にもあります。
本日は、台風直後この池田湖に、実はここにも、平家落人伝説があり、そこに
出かけてきたばかり、近いうちにホームページにアップします。
[14]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月19日 21時54分31秒 ) パスワード
  

>なぜこんなに様々な地域に伝説が残っているのか、興味深いですね。

やっぱり「人は移動する」からでしょうね。
佐々木家ともなれば日本全国に所領地を頂いたでしょうから
佐々木高綱=宇治川の先陣争い=池月
という事で日本全国佐々木家関係の土地に池月のお話や塚が生まれたのでしょうね。


>馬頭観音

馬頭観音とは一体何なのか?と思ってました。
なるほどねぇ。


>近いうちにホームページにアップします。

はい、是非!
楽しみにしております。
近いうちにホームページにアップします。
[15]宮本 あらため ひにゃさんからのコメント(2003年06月19日 22時51分45秒 ) パスワード
  

こちらは台風が無事に通過していきましたが、皆様方のところはいかがでしょうか?私は台風で学校が休みになったので、自動車学校に行っていました。せっかく臨時休校だったのに、普段学校に行くより疲れて帰ってきてしまいました。車の運転て難しいですね…。

暇つぶしのギャンブラーさま

佐々木さんの領地に関してですが、確かに味坂は荘園だったんですけど、荘園辞典みたいなので調べてみると、佐々木さんの名前が出てこないんです…。四条家あるいは摂関家の所領であったようなことが書いてありました。それが、高良大社に寄進されたみたいです。
でも、現地には佐々木さんというお宅があるんですよねー。ううん。やっぱり佐々木の領地だったんでょうか。
現代の荘園辞典や国史辞典じゃなくて、古い時代の荘園資料などの文献を当たってみようと思います。何しろ勉強不足なもので…。

布袋竹さま

池田湖の民話だと、池月の名前の由来は池田湖からきていることになっているんですよね?このまえどこかでチラッと見て、面白いなあと思っていました。現地に行って来られたんですね。うらやましいです!
えーと、馬頭観音と、池月の伝説の関係は興味深いと思います。他のところの馬頭観音にも、池月の伝説がくっついているものがあるのでしょうか?
ホームページ、楽しみにしております。

最後に、すみません、ハンドルネームを変えさせていただきますね。ちょっとふにゃけてみたかったので…
[16]ひにゃさんからのコメント(2003年06月20日 13時49分43秒 ) パスワード
  

こんにちは!

今、小郡市史を見ていたら、古籍に見る地名資料のところに佐々木の名前が出ていました。

<筑後志二巻>に若宮社は御井郡東鰺坂村にあり伝云云云郡主佐(々)木四郎高綱再興して社田三十六町を寄附すと云今其社田廃せり毎年九月十五日祭礼あり、
<同書三巻>に馬洗川は御井郡鰺坂村にあり里老伝云佐々木四郎高綱軍功の賞として当州鰺坂ノ賞七百町の地を賜はりて此地に移りすむ
其馬生吻(イケスキ)を此川にて洗ひしといふ、今按ずるに<鰺坂の大農長佐々木氏の家伝>に佐々木高縄(綱)此地に寓居する事三年の内三潴郡笹渕村より妾を求め一男子をうむ是を佐々(木)三郎(蔵)利綱と号す
高綱鎌倉に帰る時此地を利綱に附与せり
其裔孫民間に落て今鰺坂の地に在住す家ノ紋四目結を用ふ是に因て按ずるに馬洗川の旧跡(説)より所なきにあらず、
<同巻>に家宗居城縦六十間横二十間云云 麟賀館第一郭縦五十間横三十一間池水を背にす第二郭竪七十四間横二十七間などあり、(後略)

…とあります。
やっぱり、佐々木さんの領地があったんですね。
だから、暇つぶしのギャンブラーさまが仰っていたような形で
池月の伝説が残ったんでしょうね。
貴重なご助言ありがとうございました!

ただ、気になることが…
味坂の中には、どうも馬頭観音を祀ってあるところがあるそうなんです。
池月と関係しているんでしょうか。

馬頭観音と池月の伝説の関係について、ちょっと調べてみようかと思っています!
何か新しいことが分かりましたらそのつど書き込んでいきたいと思っていますので
よろしくお願いします。

ご助言ありがとうございました!


[17]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月21日 12時01分24秒 ) パスワード
  

ひにゃさん

>味坂の中には、どうも馬頭観音を祀ってあるところがあるそうなんです。
>池月と関係しているんでしょうか。

私自身は「馬頭観音」とは何なのか全く知りませんが
池月が馬なので供養の為に馬頭観音を祀ったというのは想像出来ますが。


我が家にある中国の古代のおもちゃ(のコピー)に
馬の頭をして体は人間の形をしたものがあります。
(朝日新聞の記事によれば本物は世界的遺産の価値があるそうです)

その他
象牙で彫ったヒンドゥー教(ヒンズー教)の
顔は象の神様の置物があります。


池月は日本の馬史に輝く立場にあるので「馬頭観音像」が池月の為に彫られても当然では?と思います。


もし新たな事が分かりましたらお知らせくださいね。
[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月21日 12時12分47秒 ) パスワード
  

馬頭観音菩薩:

1)愛犬、愛猫、畜生界救済の観音さま
2)ヒンズー教の神様の1つ
3)馬が草を食むように人間の悪の心を食べてくれる
4)昔は旅に馬を利用したので旅の安全のお守りとして道端に置かれる
5)江戸時代に馬頭観音が流行


ちょっと調べましたら以上のような事が分かりました。
[19]川口 信さんからのコメント(2003年06月21日 12時23分49秒 ) パスワード
  

台風一過、良いお天気ですが、日差しがもう真夏みたいで31度越す勢いです。暇だったので、検索いたしました。 
 
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~k-ban/batou-1.htm
 
 これは各地にある馬頭観音です。詳しく解説及び画像があります。

 http://oguri.cside1.jp/nakahara2-1.htm
 
 是は洗足池周辺にあります。馬頭観世音の画像が入っております。
 ちょうど池月とは反対側にあります。
 ちょっと離れたところにもあります。半径1キロぐらいのところに2つです。

 大田区とはそんなところです。ホントは自慢なのです。 
[20]ひにゃさんからのコメント(2003年06月21日 22時47分27秒 ) パスワード
  

いつもありがとうございます!

池月の供養のために馬頭観音が祀られたというのは思いつきませんでしたが、
そうですね、考えてみたらそれが一番順当ですよね…。
旅の安全のお守りとして道端に置かれたというと、
猿田彦と同じようなかんじなんでしょうか。

うーん。
なんか楽しくなってきました。
卒論に使えるかな…なんて下心もあったり。

川口さま

ホームページ拝見いたしました。
ありがとうございます!
いろいろな馬頭観音があるのですね。
道にお守りのために置かれたり、
供養のためだったり。
奥が深くておもしろいですね。

ところで、
洗足池周辺の馬頭観音のほうのページに「桜坂」とありますが
もしかしてフクヤ○マサハルさんの歌の桜坂ですか…?

本当にいつもありがとうございます!
[21]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月22日 01時15分51秒 ) パスワード
  

川口さま

ありがとうございました。
観音さまに6種類ある?

観音さまって女性の観音さまお1人だと思ってました。(不信心なワタクシ)
あ〜
あれは阿弥陀さまか?(いよいよ不信心丸出し?)


勉強になります。
[22]川口 信さんからのコメント(2003年06月22日 08時21分59秒 ) パスワード
  

ひにゃさん、そうなんです、桜坂は洗足池からざっと、2〜3キロぐらい離れたところです。下記URLでご堪能ください。

 http://www.bekkoame.ne.jp/~matsunoy/denhon/

 暇潰しのギャンブラーさん、実は私も良く解らないのです。もっぱら、銭洗い弁天様しか知らないのでs。(元ギャンブラより) 

 [10]で紹介しました、伊豆のマホロバ丹那の方にも馬頭観音に関する記述がありました。

 それによると
 軽井沢から熱海へ通じる途中の弦巻山に昔、観世音を祭る祠があった。
 平将門も乗っていた馬が急の病になった折りにこの駒形堂で祈り
 馬が全快し大いに喜び馬頭観世音を寄進した。このこともあって
 駒形堂は広く知れ渡り、多くの人々が以後長くこの地を訪ねることとなった。
 頼朝も訪れた。現在は泉龍寺に移されている。

 名馬有るところには、必ず馬頭観音ありか。

 人のために役立った馬さん達に感謝して、奉ったのでしょう。日本人の良いところでしょうか。
[23]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月22日 08時52分53秒 ) パスワード
  

>平将門も乗っていた馬が急の病になった折りにこの駒形堂で祈り
>馬が全快し大いに喜び馬頭観世音を寄進した。

なるほど
馬の病気治癒祈願成就というのもアリでございましたか。
[24]ひにゃさんからのコメント(2003年06月22日 10時55分43秒 ) パスワード
  

こんにちは!

川口さま

桜坂、堪能させていただきました!
ありがとうございます。
こんな美しい桜の名所が近くにあるなんてうらやましいです。
大田区は本当にいいところなんですね。
引っ越したい…

いろいろなタイプの祀られ方をされている馬頭観音を見ると
昔の日本人と馬との係わり方みたいなのも考えさせられますね。



[25]ひにゃさんからのコメント(2003年06月24日 01時07分50秒 ) パスワード
  

こんばんは。

16に、小郡市史に「筑後志」という文献に佐々木四郎の記述があった旨
書かせていただきましたが、
今日、大学の先生から
「筑後志はただの伝説を集めただけの本だから信用してはいけない」
…と言われてしまいました。

ううーん。
[26]川口 信さんからのコメント(2003年06月24日 08時12分51秒 ) パスワード
  

 >伝説を集めただけの・・・・・・だから

 先生らしからぬお言葉ですね。まあ大学生だからかも知れませんが、小学生に向かって言った言葉でしたら、許せませんね。おおげさに言えば子供の探究心の芽を摘むみたいな言動。

 他のスレにも書き込みましたが、伝説と馬鹿にしてはいけませんね。
 何か根拠があるから、長く言い伝えてきたかも知れませから。

 ためしに安徳天皇縁の『八咫鏡』のスレを読んでみてみては。

 くじけず、これからも、ドシドシ書き込みをお願いいたします 
[27]ひにゃさんからのコメント(2003年06月25日 01時56分56秒 ) パスワード
  

ありがとうございます!

頑張ります。
[28]布袋竹さんからのコメント(2003年06月25日 13時54分28秒 ) パスワード
  

池月の話・私は、児童文学者椋鳩十の本の中でみたことがあったので
てっきり、創作民話の類かなと思ってましたら、また現地に出かけ
「エヘッ、私の所から車で30分かからない距離にあります。」
詳細な言われの立て札が・・
言葉足りないのですが、とりあえずホームページにアップしました。
私としては、トップから見て欲しいのですが・
そして、その日すごいものを発見か?イッシー??眉毛に唾をつけて・・

スレッドを踏み外さない様に「名馬池月伝説」を
http://www.minc.ne.jp/~hotei/ikedakoden.html
[29]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月25日 22時13分58秒 ) パスワード
  

拝見しました。
池月って「池田湖」から名前が出てるのですか。
そして「池田」という殿様がいた。
イッシーって最近の話じゃないのですねぇ〜

ロマンに溢れたエリアなんですねぇ
[30]布袋竹さんからのコメント(2003年06月25日 23時25分48秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラーさま、ありがとうございます。

池田という場所・地名があり、そこの湖なので池田湖」なのか・
池田湖があって、集落池田・卵と鶏・
すぐそばに、清見岳もあります。
この時代も、その土地の名前にした郡司・領主が多かったようです。
立て札の解説・伊作の古記によれば、その池田の一文字と
馬に半月の模様・膝栗毛とかあるように・月は半月それが馬に付いてたから
「月」で、池月と名付けたとの話。

イッシーは昭和の代で、ネス湖の騒がれたあとのような記憶です。
父の池田の友人がそれを見たひとりであると、父が語ってました。
そんなに古くもないけど最近でもないです。
でも、私、先日6月24日写真を撮ったら、・・・・ロマン

ここは、江戸時代は島津今和泉家の領地。明治以降昭和33年まで今和泉村に所属
その後、指宿市や山川町に分離した場所です。
[31]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月25日 23時55分18秒 ) パスワード
  

イッシーは池王明神伝説に係わっているのでは?と思いました。

>昔々、湖の畔の草むらに、頭が人間で首から下が竜の格好をしたのが寝ていたのを農夫が見つけ、短刀で首を切りつけた。
>竜は血を流し湖に消えた。その晩農夫は突然死し、看病の妻も言動おかしくなった。
>集まった親族に「我は竜王で、寝ている時突然切りつけられ亡くなった、一族を祟ってやる」とのことで、
>親族は竜王を「池王(尾)大明神」として祭った。   

ロマンがあるではないですか。         
[32]布袋竹さんからのコメント(2003年06月26日 11時14分29秒 ) パスワード
  

そうですね。イッシ−の原本というべき
この、竜王が時々現れて、現代のイッシー騒ぎになった・
竜王伝説を読んでも、思いもつきませんでした。
さすがロマンチックなギャンブラーさん、ありがとうございます
ここには腕の太さと同じ位太く
2m近い長さの大ウナギもいるのです。
[33]ひにゃさんからのコメント(2003年06月26日 12時42分48秒 ) パスワード
  

布袋竹さま

いつもありがとうございます!
ホームページ、拝見させていただきました!

他のところの池月伝説は、
早死にした母馬を恋しがって
池に飛び込むというタイプのものが
多いように思っていましたが、
池田湖では逆なんですね。

ホームページの中に
>江戸時代の牧やオロ「馬を誘いこむ土手」等も
現存します。
…とありましたが、オロというのは何なのですか?
すみません、不勉強なもので…(汗)

池田湖の池月伝説、興味深いですねー
もうすぐ夏休みになるので
機会があったら一度、訪れてみたいです。

これまで紹介していただいたいろいろなホームページを見ると、
池月の伝説は名馬の産地といわれたところに結構残っていて、
そこでは馬頭観音の信仰も盛んなようですね。
ギャンブラーさまが仰ってくださったように、
佐々木さんの領地にも残っているでしょう。

最近まとまって調べ物をする時間がとれないので
まだ何とも言いようがないのですが、
味坂は、上記二つのどちらのパターンにも属さないような気がいたします。
…雰囲気で発言してしまってすみません。

ただ、佐々木四郎の領地があったという伝説が残っているのは確かなようです。
すみません、もうちょっとちゃんと勉強してきます…(涙)





[34]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月27日 00時04分52秒 ) パスワード
  

>佐々木四郎の領地があったという伝説が残っているのは確かなようです。

拝領して社寺にすぐさま寄進したりすると佐々木の所領地という形で記録に後世残っていないかも知れませんね。

有力御家人でしたら日本全国いろいろな所を貰っているようですよ。
こういう調べモノをすると他の人にも役に立つのですが
どなたかやってくれないかしら?

[35]ひにゃさんからのコメント(2003年06月29日 01時49分31秒 ) パスワード
  

こんばんは!

というか、お早うございますでしょうか(笑)?

佐々木さんの領地の話からはズレてしまいますが(すみません)、
図書館で日本の宗教事典のようなものをぱらぱらめくっておりましたら
「蒼前」さまという馬の神様の信仰についての記述がありました。

『東北地方で多く信仰されている馬の守護神であり、
祖霊と考えている地方もある。

蒼前様といい、また蒼前は、勝善・相染とも書き、大黒柱に祀る。
蒼馬は、おそらく葦毛四白の馬のことであろうと言われている。
葦毛馬は古来より馬齢八歳で白馬に変わると霊異なるものとされた。

岩手県九戸地方では十二月九日を蒼馬の日としており、
馬牛を飼う家では必ずお供え物をする。

同県二戸郡では、蒼前を馬頭観音と称して、
正月十六日に馬をきれいに飾り参詣した。

秋田県仙北郡では、正月に猿丸太夫という
厠祭りの祈祷師が巡ってきて、厩祈祷をする。
また、博労衆は、蒼前さまに御神酒を供えてから馬の売買を行なったという。

昔は猿引き(猿回し)というのが馬相や馬医を兼ねていたが、
後に猿まわしと馬医とに生業が分かれた。
しかし、猿引きがこの種の故実に通じていたものか、
厩神の勝善神を祀り、勝善経を誦んで歩き回っていたようである。

馬は河童を見ると倒れるが、河童は猿を見ると動けなくなると
言い伝えられており、廐神の馬を守るため、
猿を描いた神札、すなわち猿の駒引きの護符を
厩祈祷師たちは配り歩いたものである。

特に孕み馬子を持つ家庭において、
この信仰が厚く、仔が生まれると必ず御神酒を供えて感謝する。

東北地方では、現在でも馬持ちのひとだけで講をつくり、
蒼前講と呼んで集会を開いている。
蒼前はまたオシラ様とおなじく蚕神としての信仰もある。

岩手県岩手郡玉山村芋田の芋田駒形神社は芋田の蒼前さまと呼ばれ、
この地方での信仰が厚い。
同郡滝沢村鵜飼の駒形神社も蒼前神として有名であり、
旧暦五月五日には、馬を飾り子を乗せ、四キロ離れた盛岡市にくりこむ
これを「チャクチャク馬っこ」の行事といい、
盛大に行なわれている。』

…ということでした。
[36]ひにゃさんからのコメント(2003年06月29日 01時56分52秒 ) パスワード
  

どんどん脱線していっていますね、
すみません(汗)

どういうのかはもう忘れましたが、
青馬の節会という行事がありましたよね?
蒼馬さまについて詠んでいたら、
ふっとそのことを思い出しました。

民俗学事典に、
馬頭観音を祀ってあるところは
たいてい講が盛んに行なわれていた
とありました。

蒼馬さまの信仰も講と関係しているみたいですね。

すみません、
いつもながらに考えのまとまっていない文章で…
[37]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年06月29日 02時16分56秒 ) パスワード
  

面白いですね。

馬の守護神というのが馬頭観音の他にもあったのですか。
奥州は名馬の産地ですから池月伝説もあちこちにあるかもですね。
[38]川口 信さんからのコメント(2003年06月29日 20時32分07秒 ) パスワード
  

蒼前講の件興味深く拝見しました。ありがとう御座います。


 >私のスレッドは「ブレイン・ストーミング」オーケーですよ。
>いろいろな「とんでも話」が出ればヒラメキも増えると思いますから

 と【暇潰しのギャンブラさん】が他のスレで宣言しておりますので、別にメーインテーマから外れても馬についてのことなら誰にも遠慮せず、まして本人がそうするなら、私はついて行きます。ドンドンとアチコチに展開していってください。楽しみにして読んでおりますので。
と言って私も。
 
馬と猿の関係で有名なものには東照宮の神輿舎(馬小屋です)があります。その長押上には、8面の猿の彫刻があります。其の中で一番有名なのが『三猿』(いわゆる、「見ざる・言わざる・聞かざる」)です。
 猿には、馬の疫病や災難を封じるという信仰が庶民に伝えられており、それで作られものかと思われます。
 



[39]ひにゃさんからのコメント(2003年06月29日 22時22分19秒 ) パスワード
  

川口様

あたたかいお言葉、ありがとうございます(涙)

『三猿』の彫刻は写真などで見たことがありますが、
馬小屋の上にあったのですね〜
それは知りませんでした。
いつもいつも、勉強になります。
ありがとうございます。

馬頭観音についてですが、
馬の名産と言われる場所には、
たいてい祀られていたようです。
[40]ひにゃさんからのコメント(2003年07月12日 23時18分47秒 ) パスワード
  

すっかり御無沙汰してしまいました…。

さて。
馬からちょっと元に戻って
味坂の荘の池月伝説についてです。

大学の先生からお聞きした話です。
十八世紀中ごろに、自分たちは平家の落人である
というようなことを記した由来記というようなものが
全国各地のいろいろな土地のいろいろな家でつくられたそうです。

なぜかと言いますと
江戸時代になり、身分が士農工商に分けられるに伴い
自分たちは平家の末裔だと言う証拠が残っていると、
武士身分として苗字帯刀が認められるかもしれない
というふうに考えるひとが多かったからだそうです。

味坂の佐々木家に由来記が残っているかどうかは
分かりませんが、
高良山に寄進された三潴の荘とともに
梅津という家の下で美麗田楽に奉仕する田楽法師たちが多くいたことから
自分たちは佐々木四郎の末裔であるという伝説をつくりあげたのではないか
と思います

説明が分かりにくくてすみません(涙)
[41]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月12日 23時33分11秒 ) パスワード
  

>自分たちは佐々木四郎の末裔であるという伝説をつくりあげたのではないか
>と思います

伝説だからいいんですよ。
ロマンがあって。

そう無茶なことは言い出さないのですから、日本人は。

全く嘘だったら村の他の人が許さないから伝説としては残らないと思います。
伝説として残ってるということは信憑性もないわけじゃないという事だったと思います。


苗字を残したいという気持ち
アイデンティティですからね
子孫の方達の頑張った様子が嬉しいです。

明治になって佐々木姓で登録したのなら本当にそうだったんだと思いますよ。
[42]川口 信さんからのコメント(2003年07月12日 23時39分51秒 ) パスワード
  

ひにゃさん 本当にご無沙汰で、お暑うございます。
 
 以心伝心とはこう云うことでしょうか。

 今日は私、苦労して、拙いマイHPに載せようと思って、『池月』の画像と『池月の大絵馬』の画像を貼り付けていたところで、近日中にアップするつもりです。


 http://www.satsuma.ne.jp/nichiwa/sasaki.htm
「佐々木氏のいわれ」

 http://www.city.matsumoto.nagano.jp/www_cbox/html/j_takatuna/%E6%AD%B4%E5%8F%B2.htm
   「歴史」     の中に高綱中学校の由来がありました。

[43]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月13日 02時55分47秒 ) パスワード
  

http://www.satsuma.ne.jp/nichiwa/sasaki.htm
より

>佐々木一族は報酬として守護となり、一時は<<鎌倉幕府の全領土の四分の三>>を所有した。

ちょっと書きもれがあると思いますが
確かに佐々木氏は凄い勢力を持ってたと思います。
日本全国に土地を持って子孫が派遣されてたと思います。

[44]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月13日 03時01分39秒 ) パスワード
  

NHKの「武蔵」の佐々木小次郎は
近江国佐々木義助の嫡男だと言ってましたね。
父親が次男だったのでしょうね。
それで息子は小次郎と名づけられたのでしょう。
それか小次郎の前に幼くして亡くなった兄がいたのか。


佐々木小次郎の出身地というのは
NHKを見てるだけでも
近江→福井・岩国・福岡に出生伝説があるらしい。

武蔵も負けてはいないですね。


人間は移動するのであちこちに伝説が残されたのでしょう。
池月もホントにあちこちに伝説があって
名馬が生まれるとみんな生月になぞらえて頼朝に献上されたというお話になって行ったんでしょうね。
[45]布袋竹さんからのコメント(2003年07月28日 07時57分23秒 ) パスワード
  

(私にとってこれも因縁因果なのか)へのお誘い
「いけづき」に対して「する墨」摺墨・磨墨・
これは、梶原源太景季が乗って、
佐々木四郎高綱と宇治川で先陣争いをしたと・
偶然その、梶原景季の墓を見てきました。
これも伝説として残っていました。
http://www.minc.ne.jp/~hotei/kamikosiki.html
宇治川の役で活躍の人物?鹿児島の辺地に集まる?
この梶原景季の墓も全国たくさんあるのでしょうね。
歴史史実として、駿河の清美関でなくなったとされていますが・・

ほかに、また安徳帝か俊寛に呼ばれたかのように、薩摩硫黄島までも
立ち寄らせられました。エンジントラブルで2回寄港。
[46]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月28日 08時33分33秒 ) パスワード
  

甑島にも凄いドラマがあったのですねぇ〜


>楠木家の末裔として称して和田家があり、
>「♪青葉繁れる桜井の・・」歌で知られた「桜井駅決別」の時着たという甲冑があった。
>鎧の裏は金で楠のマークの菊水を染め抜いて、兜には、金の房が美しく垂れていたそうだ。
>楠木左金吾正行の墓は、金吾山のこの和田家に納められている。和田家の定紋はみんな菊水を使用している。
>楠木正行と正勝は、都を落ちて鹿児島まで南下、正行は甑島、正勝は国分に遁入したと伝えられている。


楠木家と和田家はもともと親戚ですものね。
すんなり理解出来ました。


甑島にはもともと梶原家の領地があったかもですね。
梶原家は愛知県春日井市だったかにも領地があって驚いたことがあります。
[47]川口 信さんからのコメント(2003年07月28日 08時54分52秒 ) パスワード
  

 布袋竹さん たいへんでしたね。

 [46]URL見てきました。興味ある事ばかりでたいへん勉強になりました。


 >ほかに、また安徳帝か俊寛に呼ばれたかのように、薩摩硫黄島までも
 >立ち寄らせられました。エンジントラブルで2回寄港。

 そうかも知れませんね。訪れていらっしゃって、ここで紹介なさることは源平時代の人々の良い供養になることでしょう。
 因縁とはやはり存在するみたいですね。池月で始まって梶原景季につながるなんて。

 大田区にも[46]の名馬と梶原景季の父、梶原景時にまつわる事柄があります。下記URLに記述があります。


 http://www.pio.or.jp/qjin/2002c/0108.html

 洗足池の近辺には馬込の万福寺の土地が沢山あります(貸し地として存在)。
 また色々な事柄を紹介ください。お待ちしております。

 
[48]布袋竹さんからのコメント(2003年07月28日 09時18分11秒 ) パスワード
  

暇潰しのギャンブラーさま
早速のレスとご教示ありがとうございます。

旅行本に、甑島鹿島村にも、「平家の落人梶原一族が」と言う
記載があり、(平家なのか源氏なのか)
下甑島・手打にも菊水の紋のお家やお墓が・
以前の記憶ですが、これも、確か和田家・だったか・

梶原氏の領地のことも・・
今度は、下甑島も訪ねてみないとなりませんね。

お盆は、全島平家落人伝説の残るトカラ列島に出かける予定です。
[49]布袋竹さんからのコメント(2003年07月28日 09時39分32秒 ) パスワード
  

すぐ書きこんでいる最中
川口 信さまからも、力強いエールレスが入ってまして・
お蔭様で、源平の古の遺蹟を訪ねるのも、張り合いが出ます。

「いけづき」・「するすみ」とも名馬伝説が・各地に
あればあるほど、愛されていたのですね。
上京の折は、万福寺も訪れてみたいです。
[50]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年07月28日 12時18分08秒 ) パスワード
  

>お盆は、全島平家落人伝説の残るトカラ列島に出かける予定です。

これは楽しみですね。
トカラ列島のは平家落人伝説の南の果てでしょうか?

為朝の沖縄逃亡
これもこんな事あったのでしょうか?

それとも当時では不思議でもなんでもないんでしょうか?
昔は甑島にしてもトカラ列島にしても大陸との通路で開けていたのかも?

楽しみにしております。
[51]布袋竹さんからのコメント(2003年08月21日 23時17分52秒 ) パスワード
  

また、本題から外れそうですが、やっとトカラ列島のさわりだけ
アップしました。下船は何ヶ所したのですが、悪石島に2日間
島の墓なども覗きましたが、1100年代の墓らしきものは見つからず・
ボゼ祭りのツアーに紛れて出かけたもので・・

URLのアドレス 目次から・「トカラ列島」で・
本文にも書きましたが、ここよりまだ南の島にも平家伝説はあります。
奄美大島には平資盛神社や平行盛神社も地図にちゃんと載っています。
琉球まで落ちていった」の記述もあるので、さらに南にも・・・
[52]当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月22日 07時07分20秒 ) パスワード
  

布袋竹さま

是非新しくスレッドをお立てになって「トカラの平家落人伝説」を紹介して頂きたく思います。

ボゼ祭りって秋田のなまはげに似ているのかしら?
こういう奇祭自体は日本の風俗に合ってて面白いですね。
非常に古いというか人間性の基にある祭りというか。
こういうの好きですよ。


ここのところ再び実家に戻っていてやっとヒトのマシンを借りたところです。
[53]川口 信さんからのコメント(2003年08月22日 07時26分07秒 ) パスワード
  

 布袋竹さん トカラ島のURLアップ見てきました。ご努力に頭の下がる思いです。

 服部様のおっしゃるとおり、別のスレを是非、お願いいたします。

 何故かというと、肥後、日高、有川、岩下、平田姓など「平熱」の読者で関心のある方々が大勢おりまして、居ながらにして現地の風景、まして姓の由来などが詳細に書かれておりますので、「トカラ島」の事を読んで頂ければ、大変参考になると思いますので。このレスに埋もれてしまうのはもったいないです。

 たいへん有難う御座いました。
[54]当分ギャンブラーじゃないさんからのコメント(2003年08月23日 09時48分24秒 ) パスワード
  

川口さま

本当に!
まさかトカラ列島で「平田」姓が出て来るとは思いませんでしたが
やはり「平家」の出身ですから縁のあった平田家を名乗ってくれたのかしら?
とか
「平らな土地が欲しい」という想いだったのかしら?
とか
ロマンがロマンを呼びます。


今年いっぱい我が家は落ち着かないので「平熱」の各スレッドの整理が出来ないのが残念です。


遠慮なくスレッドを立てて欲しく願っております。
[55]さんからのコメント(2005年02月26日 17時05分47秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

暇ギャンさん、こんにちは。彦熱ではいつもお世話になっています(笑)

先日、「宇治川の先陣争い」についてちょっと調べようといろんなHPを彷徨っていた時、「高○中学校」という某公立中学校のHPにあたりました。そこの校名の由来に、「宇治川の先陣争い」のことが書いてあったのですが、相手方が「平家軍」とありました。

もとよりわたしも歴史に詳しいわけではありませんが、どう考えても木曽義仲との戦いであったと思うのですが・・・。
その由来書きには御丁寧に佐々木某と梶原某の問答(腹帯云々のことですね)を平家物語から引用してまで書いてあるのに、相手方が「義仲軍」ではなく、「平家軍」となっていました。

もしかすると、ひょっとして、意外なことに、万が一(もういいわい)宇治川の戦を、【 源氏と平家の戦 】としている文献が存在しているのでしょうか?

公立学校の校名の由来に関わることだけに、「なんちゃって解説」ではないと思うのですが、だからといって信じることもできず夜な夜な悩んでおります。

御教示いただければ助かります。
[58]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年02月27日 00時57分09秒 ) パスワード

創さんへ

こちらでは初めまして(笑)
わたくしも良く分かってない素人なので「へえ〜」でした。

現代は「言論の自由」「解釈の自由」が保証されてますから、
昔の話にはいろいろな説が出て来るのでしょうね。


「宇治川の戦い」は確かに「範頼+義経連合軍 vs 義仲軍」の戦いですよね。
どういう意味で御当地では「対平家戦」になってるんでしょうね。

御当地の郷土史の解釈では「宇治川の戦い=源氏vs平家」でしょうかねえ。



真面目にわたくし考えまするに(笑)

「同じき正月11日 木曾左馬頭義仲院参して 平家追討の為に 西国へ発向すべき由奏聞す」
で始まる「宇治川の事」の段ですから
義仲は敵は平家と思ってたのに、瓢箪から駒、いとこの鎌倉勢だった。
「え?なんでオラが成敗されるって話に変ったズラ?」と義仲はビックリしてますから。

この段は木曾義仲の悲劇の始まりとして日本史でも格別の意味を持ちますね。
三つ巴の戦いの始まりですものね。

味方と思ってたら敵対してきたなんて
義仲には鎌倉のやり方はやっぱり信用しちゃいけなかった!
でしょうね。

現代の日本人にも通じますよね。
味方と思ってたら足を引っ張られた
なんて。


この段の解釈は御当地では
鎌倉勢は西国の平家軍を討伐する道中の行きがけの駄賃に義仲軍を蹴散らすよう頼朝から命を受けた
それで
木曾軍との宇治川の戦いは局地戦であって、鎌倉軍の大局の敵は平家だったんだよ、
そこの所を混乱してはいけないよ>生徒諸君!
という意味なんでしょうかねえ。


2つ目にこんなふうに考えてみました。

この戦いの数年前に宇治川では「橋合戦」という戦いがあったので
治承4年5月25日の「宇治の戦い」と混乱してるんじゃないですかねえ。
仲綱も良い馬を持ってましたから。

仲綱は佐々木の息子と混乱されたんでしょうかねえ?「綱」の字と名馬から。
「死せし仲綱 800年後 現代人を混乱さす」
でしょうか?


さらに!
御当地の人にしてみれば宇治川での狼藉の数々は源氏も平家も木曾も鎌倉も同じなんでしょうね。
だから宇治川での戦いは御当地の人にすれば
結局は 源氏vs平家 の1エピソード(2エピソードか)にすぎないのでしょう。


「宇治川の戦い=源氏 vs 平家」の背景には御当地なりの深い深い事情があったんでしょうねえ?
って書いて良いのか?
ふふふ 


宇治川の戦いは混乱させる要素が何重にも存在してますね。
[59]さんからのコメント(2005年02月27日 13時38分10秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

早速ありがとうございます。
暇ギャンさんが『素人』なら、わしはどーなるんですか(笑)

さて、
>御当地の郷土史の解釈では「宇治川の戦い=源氏vs平家」でしょうかねえ。

この『御当地』は、N県M市です(笑)
学校の近くに了智上人のお墓がある関係で、件の名前にしたとのことでした。


>木曾軍との宇治川の戦いは局地戦であって、鎌倉軍の大局の敵は平家だったんだよ、
>そこの所を混乱してはいけないよ>生徒諸君!
>という意味なんでしょうかねえ。

これはいくらなんでも強引過ぎますよぉ(爆)
こんな教え方をする先生がいたら、殴ってやりたいです(^^;


>この戦いの数年前に宇治川では「橋合戦」という戦いがあったので
>治承4年5月25日の「宇治の戦い」と混乱してるんじゃないですかねえ。

源三位頼政の挙兵ですか?これも無いと思います。同校のHPでは、


『平家物語の中に巻之九、「いけずき・する墨」に「宇治川の先陣」(1184年1月)として記述されている。』

と書いてあり、

『比は正月二十日あまりのことなれば、比良のたかね、志賀の山、昔ながらの雪も消え、谷々の氷うちとけて、水はをりふしまさりたり。・・・佐々木鎧踏ん張って立ち上がり、大声あげて名のりけるは、「宇多天皇より九代の後 、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。我と思はん人々は高綱に組めや」とてをめいてかく。』

というふうに原文を引用しています。


実はあれからまた、いろいろと考えてみて一つのことに気がつきました。
ある意味、拍子抜けな感じもあるのですが、

「紹介文を書いた人と、HPを作った人が別人」ではないか、ということです。
つまり紹介文を書いたのは、古典なり日本史なりの先生だけど、HPを作ったのは「平家物語」や「日本史」にまったく縁のない人で、突き詰めれば文章をHTMLに起こす際に「読み違え」たか「勘違い」したのではないか、と思うんですね。

『源氏の戦=相手は平家』みたいな思い込みによる、エアロスミスじゃなくて『ケアレスミス』じゃないのか?(笑)

まあ、それにしてもちゃんと校正する責任は当然あると思いますし、なにより『学校の名誉』にも関わることともいえますよね。
わしが心配してあげる義理もないんですけど(笑)、やはり教えてあげるべきでしょうか?(微笑)
[60]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年02月27日 16時28分07秒 ) パスワード

>やはり教えてあげるべきでしょうか?(微笑)

教えてあげた方が良いでしょうねえ。
だって「学校」ですから
教科書だって間違ってたら新聞種になりますものね。

あのHPは日本中に恥をかいてしまいます。

だけどどうやって間違えたんでしょうね。
やはり写し間違いか、写す時にHP作成者が思い違いしてたのを書いてしまったんでしょうか。

N県ということは奈良県でしょうか?
奈良だったら歴史に詳しそうですけど、必ずしも、ということなんでしょうね。


>『源氏の戦=相手は平家』みたいな思い込み

これなんでしょうね。

更に「まさか源氏同士が戦うわけがない」という思い込みもあったんでしょうかねえ。
源氏は仲間割れで悪名高いけど。
このHPを作った人は頼朝が義経を殺したのも意識に無いのかもですね。
ふふふ
[61]さんからのコメント(2005年02月27日 19時30分49秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

とりあえず、先ほどメールを出してみました。
まあ、どうなるかは分かりませんけれど(笑)

ちなみにN県は、奈良ではありません(微笑)

もし先方から、なんらかのリアクションがあったらお知らせします。
[63]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年02月28日 07時03分03秒 ) パスワード

佐々木氏の出身は滋賀だから、N県って奈良だとばかり思いました。
てっきり木津あたりの中学と思ってました。
宇治川の話がHPに書かれていたということで。
全然関係無かったんですね。(きゃ〜、恥ずかし〜い!)


高綱は職務中とはいえ馬を奪って持ち主を殺したりしていて(ここの兄弟は仕事の為なら凄いのよね)
心に傷を負って
越後で親鸞上人の弟子になって了智坊を称して
あちこちして
最期は現在のN県M市で亡くなっていたのですか。



でも長野だったら木曾殿の敵は歓迎されないんじゃないかと思いますが
高綱は、こちらでは、きっと良い人物だったのでしょうね。


長野だったら英傑は木曾どのだと思うので
源氏の敵が木曾どのだったというのは余計まずいでしょうね。
それで「源氏の敵は平家に決まってる」ってなったのかしら?


すごいメンタリティだなあと改めて郷土意識というのに脱帽です。
ぺこり


どんな返信が来るか楽しみですね。
[64]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年02月28日 07時42分42秒 ) パスワード

私の持っている資料では高綱の歿地は出雲国富田とあって(ここは尼子晴久で記憶してました)
あらら
高綱ってあちこちで死んでるの?と調べたら


なんと!

乃木将軍の家は高綱の次男の流れで
後裔が能木にいて乃木を称するようになったのだそうです。


尼子も佐々木の子孫なんですって。

さらに!

佐々木高綱の甥・信綱は承久の変の時、自分は鎌倉幕府方で
宇治川で上皇方の兄・広綱と戦い、破り、広綱父子を殺しているんだそうです。
[65]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年02月28日 07時51分02秒 ) パスワード

佐々木家というのは栄えに栄え近江国以下十数ヶ国の守護になっていたそうです。

いろいろあって心に傷を負った高綱が仏教に帰依して諸国を巡ったというのも
乞食坊主というわけじゃなかったのですねえ。

それであちこちに高綱の墓(塚)があって不思議じゃないし
池月のお話もあちこちにあって全然不思議じゃないんですねえ。
[66]さんからのコメント(2005年02月28日 21時56分32秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

>佐々木家というのは栄えに栄え近江国以下十数ヶ国の守護になっていたそうです。

たしか六角氏や京極氏が佐々木氏の流れでしたね、そういえば。

ところで、イケヅキやスルスミが山口県生まれだという説を見つけました。
産地については、いろいろと説があるとは聞いていましたが、まさか、山口にあったとは・・・。

http://www.npo-idn.com/heishi.htm
[67]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月01日 02時20分53秒 ) パスワード

拝見しました:

>「いけずき」の産地説の1つに吉母地方と北九州戸畑区牧山説がある。

名馬ともなると、というお話でしょうね。

でも長門とかその近辺だったら源氏に渡るより平家に献上したと思うのですが
当時既に源氏が買い目と思う目端の利く馬飼いがいたのかもですね。



第九話「柳の御所と清経」に
>清盛の三男・左中将清経は(略)

とありましたが清経どのは重盛さまの3男だったんじゃないかと記憶してましたが
昔の親子関係は今の戸籍謄本の親子関係と違って複雑怪奇ですから
1説にはそういうのもアリかもですね。

清盛公の隠し子だったかも?
[68]さんからのコメント(2005年03月04日 00時10分00秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

>昔の親子関係は今の戸籍謄本の親子関係と違って複雑怪奇ですから
>1説にはそういうのもアリかもですね。

余談ですが、大海人皇子は、天智天皇よりも「年上」だったという説もありますからねえ・・・。
[69]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月04日 03時12分35秒 ) パスワード

へぇ〜
同母兄弟でも、そういうのが可能なんですか。

で調べたら天智天皇は生まれた年が626年ですが天武天皇は不詳になってました。
なるほど。
やっぱりこの兄弟も謎に満ちているんですねえ。
天皇ともなった人物の生年が分からないというのも謎ですよね。

天武天皇は天皇になった順番が「後」だから「弟」と素直に信じてました。
[70]さんからのコメント(2005年03月12日 10時08分18秒 ) パスワード
URL=http://www.urban.ne.jp/home/sochan/

暇ギャンさん、おはようございますなのです。

昨夜、件の学校のHPを覗いたら、何時の間にか訂正されていて、ちゃんと『義仲軍』になっていました!

まあ、それはそれでいいんですよ。
ただ、あれから何も音沙汰なく、メールも来ないんですよね。

別にお礼とか言って欲しいわけじゃないんですけど、なにか返事なりリアクションなりあっても良いんでないかい?由緒だなんだかんだといっても、所詮その程度の学校かい?

などと思っています(笑)

とりあえず、御報告まで。
いろいろと、ありがとうございました!
[71]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年03月12日 11時32分07秒 ) パスワード

創さん

御連絡をありがとうございます。



凄いメンタリティの所だとわたくしが感心したのは当ってたようですね。
[72]井上幕雄さんからのコメント(2009年06月11日 08時57分34秒 ) パスワード
URL=http://www.panoramio.com/photo/23299567

横浜市港北区鳥山町に鳥山八幡神社というところがあります。このあたりに佐々木四郎高綱の館があったそうです。

最近、教師をされていて研究家のM氏より、次のようなお話を伺いました。

そもそも鳥山村(当時)は、佐々木高綱が源頼朝より馬飼料としていただいた土地と「新編武蔵風土記稿」に書かれています。「東鏡」にも鳥山に佐々木家の領地があったことが記載されている。
名馬「生喰」は、年をとり、鳥山でなくなったのを悼み、高綱は、駒形明神に祀ったと「新編武蔵風土記稿」にある。それがこのすぐ近くの馬頭観音に納められている。
この地は、新横浜と小机の中間くらいの丘にあります。大型宅地開発というばかげたことで、なくなってしまうかもしれません。
google earthにこの美しい里山の写真をpanoramioのデータとしてのせていますのでご覧ください。
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