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 投稿番号:100503 投稿日:2003年05月25日 17時19分24秒  パスワード
 お名前:さちこ
仏教東漸 伊勢 伊賀、そして東へ

コメントの種類 :その他  パスワード

四日市博物館で伊勢、伊賀の今まであまり展示されることのなかった仏像を集めた、
開館十周年記念特別展が開催されてます。

仏教東漸(とうぜん) 伊勢、伊賀、そして東へ

私たちの先祖は、今から約1450年前に仏像と出会いました。
紀元前五世紀に釈迦によって大成された仏教は、
約千年の歳月をかけた永い東漸の末、わが国に辿り着いたのでした。
そして仏教はわが国で大きく根を張り、さらに日本独自なものへと発展していき、
さまざまな仏像を創り出していくことになりました。

わが国に伝わった仏像は、国内をさらに東へと伝播していきます。
その東漸の過程で重要な役割を果たしたのが伊賀、伊勢の両国であったのです。
伊賀は古くから都の大寺院の経済基盤であり、伊勢は東国への出発点でありました。
その意味で、仏教文化は伊賀の土壌で育まれ、
伊勢から東へと広がっていったといえましょう。

今回の展覧会では、三重県を中心に約100点の仏像を展示して、
伊賀、伊勢が受け入れ育んだ美にふれ、
この地方が仏教美術に果たした役割について考えてみたいと思います。
                             (チラシより)

四日市博物館
三重県四日市市安島町一丁目3−16
TEL0593−55−2700
近鉄四日市下車西へ徒歩5分

開館時間 午前9時〜午後5時
      月曜休

博物館のHP

http://www.city.yokkaichi.mie.jp/museum/tenrankai/index.html

チラシのURL

http://www.city.yokkaichi.mie.jp/museum/tenrankai/img/2003-0426b.jpg


6月1日(日)までです。

[1]さちこさんからのコメント(2003年05月25日 17時39分43秒 ) パスワード
  

今日やっと行ってきました。
想像していたよりも見ごたえがあったのでスレッドを立てて紹介させて頂きました。
お近くの方は是非足を運んで下さい。
と言ってももう日がないので申し訳ないです。
もう少し早くご紹介できればよかったのですが。

パンフレットやこの展示に関する本に興味深い事が書いてありましたので、
少しずつ書き込んでいくつもりです。

少しお勉強して来週の最終日にもう一度行ってこようと思います。
[2]川口 信さんからのコメント(2003年05月25日 17時48分33秒 ) パスワード
  

さちこさん、お久しぶりです。さちこさんのコメントは読んでおりますが、みんな横スレになりそうなので、控えておりました。

 >仏教東漸(とうぜん) 伊勢、伊賀、そして東へ

 丁度『伊勢・美濃』(古代史を歩く)の伊賀北部から北伊勢への部分を読んでいたところです。その辺は古代の古墳が多く、仏教が栄える土台が古(いにしえ)からあった所で、古代大和から東国へは、伊賀が交通の要所であった訳です。

 >伊賀、伊勢が受け入れ育んだ美にふれ

 良いですね。もっと早くお知らせ頂けたら見に行く予定が立てられたのに。残念。
[3]さちこさんからのコメント(2003年05月25日 22時04分42秒 ) パスワード
  

川口さん。
ご無沙汰してました。

四日市の博物館では色々催しがありますが、
行ってもても、まっこんなものかと言う感じで。
今回もローカルな展示と思ったのです。

仏像については知識がないのですが、
どの仏像も国宝に匹敵するといううか圧巻でした。
三重県の小さな寺から集められたものが多いのですが。

仏像の起源は今のパキスタン、アフガニスタンにあるそうです。
ガンダーラ美術。
紀元前のインドにには釈迦を偶像崇拝する事はなかったそうです。
恐れ多くて偶像にはできなかったそうで、
仏足石などが残るのみだったそうです。

私の考えでは恐れ多いというか偶像にする発想がなかったのではないかと。
日本の神道を考えれば理解できると思います。

パキスタンあたりはギリシャ、ローマの文化がかなり入っていたそうです。
ギリシャ、ローマは神話をモチーフにした彫刻が知られてますが。
その文化が仏教と融合して仏像を造りだしたそうです。
(とんでも説ではなくてまともな学説です。笑。)

以前、秦熱で、アフガニスタンのハッダ遺跡の事を書きました。
ブッタにかしずくヘラクレス。
新聞で読んで驚いたのですが、
こう考えるとごく自然のことに思えます。

ハッダ遺跡のブッタにかしずくヘラクレス。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/kohswho/budhainafganistan.html

さらに詳しくは。

http://www.abaxjp.com/bamiyan.html

仏教東漸の道はここから始まります。
とんでも説の秦氏とも関係深いのではないか?

後に日本に仏教が広がり東へと伝わっていくのと
伊勢、伊賀と東国の平家の関係がすごく気になるのです。

仏像の作成の仕方も技術も関心があるのです。
あまり、とんでもは抜きにしてまじめに語りたいと思います(笑)
[4]さちこさんからのコメント(2003年05月25日 22時29分21秒 ) パスワード
  

追伸。
川口様。

書き忘れましたそうなんです!
伊賀は交通の要所なのです。
津島もまた伊勢から尾張、東国への交通の要所でした。
江戸時代になり、
尾張から伊勢へ、東海道の熱田から桑名の七里の渡し、
海上が主要ルートになりましたが。
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