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 投稿番号:100465 投稿日:2003年02月24日 21時56分17秒  パスワード
 お名前:永田幹雄
奄美島唄・平家落人説(平資盛、有盛、行盛三卿は奄美に生き延びた!)
キーワード:奄美島唄 平資盛 有盛 行盛 落人伝説
コメントの種類 :落人伝説  パスワード

 これまで長い間、“ナゾ“とされてきた「奄美島唄」のルーツを探索して行くうちに、奄美大島(沖縄と鹿児島の中間の諸島)に残る平家落人伝説(平資盛(すけもり)、有盛、行盛の生存説)が、唄の側面から事実と推論出来たと思います。
 論拠の詳細を、ホームページ「うたじま」掲示板(2/24日NO198)に投稿しました。
 わが国の中世史が書き換わる可能性があり、今後一層の実証研究が待たれます。
 HP「うたじま」の検索キーワードは、「うたじま」、「朝崎郁恵」、「永田茂」からヒットできます。
 ご一読下さい。

[1]薩摩節さんからのコメント(2003年02月24日 23時46分12秒 ) パスワード
  

平家落人伝説はロマンがあります。
いずこの地も、これは、真実。歴史が変わる可能性がある、と。
口承伝承だけでなく、古文書やその時代から受け継がれた物・
たとえば、刀・甲冑・ほか、伝わってる家紋とか
信憑性の高い証拠も必要になります。
島唄からの推論・これも歌の響きに似てロマン

奄美の北、三島の硫黄島にも、安徳天皇・資盛一行来島の伝説があります。
古文書・墓・他にもいろいろあるそうです。
そこから、南の島に移動した落人もいたという話も・

しかし、推測も研究も、落人伝説にはロマンがありますね。
[2]永田幹雄さんからのコメント(2003年02月26日 15時40分55秒 ) パスワード
  

 奄美島唄のメロディが、地理的に全く関連性を持たない、遠く離れた日向上椎葉の稗つき節と、越中富山の麦屋節の民謡のメロディに、似ていると言う意外性の驚きが(今まで誰も気づいていなかったから)、掲載の価値があると考えました。

 刀、甲冑、家紋などの証拠については、落人伝説があるので、常識的な範囲では、既に調べがついているのではないでしょうか?。

 要は、伝説に対する問題意識を、新たな切り口で、持てるかどうか で、今後の調査の進展が、左右されるのではないかと思います。
[3]嘉村孝さんからのコメント(2003年04月18日 23時07分30秒 ) パスワード
  

 ホームページを拝見しました。

 実は私の「嘉村(かむら)」という姓が喜界が島にあり、源氏山という山があると地元出身の人から聞きました(佐賀県、山口県の平家落人部落に多いのですが。山口には私小説の極北といわれる嘉村磯多あり。新潮・日本文学辞典)。
 そのことについて、私は頼朝の家来天野遠景が喜界が島方面を攻めたことも関係しているかなと思っています。
 いずれにしても、伝説以上の実証的研究が欲しいですね。

[4]平 優佳梨さんからのコメント(2003年05月02日 18時26分00秒 ) パスワード
  


私、名字は 平と申します。ルーツは奄美大島(祖父母が大島です。)
先日、わけあって霊能者の方に家に来ていただいたところ「武士の因縁」があるそうで、今度厳島神社に行くように言われました。
おそらく霊能者の方は大島にこんな伝説があるとは知らないと思います…。

偶然かもしれないけど、落ち武者の伝説が奄美にもあるとは知らず、驚きました。

[5]服部 明子さんからのコメント(2003年05月02日 21時27分50秒 ) パスワード
  

平 優佳梨さん

凄い!
厳島神社で何を感じたかお知らせくださいね。
[6]おこじょさんからのコメント(2003年05月04日 12時21分39秒 ) パスワード
  

平様

はじめまして、こんにちわ。私も実は先日、あるふとしたことから霊能者ルートで
平家の流れだということがわかりました。霊界ルートでしか知り得ないことですよね。びっくりしました。ただ、その前にも違う人の占いで「平家の侍大将」なんかといい言葉なんかも出ていたので、平家の落人伝説がある出身だからぼんやりとは考えていましたが・・・

皆さん、信じられないかもしれませんが・・・
人は輪廻を繰り返すそうで、だいたいその家系で250年のサイクルで生まれ変わりがあるそうです。

平家の流れということがわかって、平家の書物を読んだり、厳島神社に行ったりしましたが、なんのインスピレーションもありません・・・。

先日は除籍謄本でルーツを探そうとしましたが、分かったのは文政の時代に
生まれた方まででした。
でも、だいたい除籍でとれるのが80年くらいと聞いていましたので、
思ったよりさかのぼれましたが・・・

死んでからしかわからないのかもしれませんね。

私ごとですが、平さんの「霊能者」ルートのお話を拝見して
書きこみしたくなりました。

なにか、わかるといいですね!

[7]薩摩節さんからのコメント(2003年06月03日 22時10分12秒 ) パスワード
  

永田様、いろいろ本など見ているうちに、トカラの手前の三島の
竹島・黒島には、ひえつき節・五木の子守唄と同じような歌が
歌われていたそうです。硫黄島には粉キリコの歌が・
かの地は、もちろん平家伝説で名高い場所です。
そして、そこから南の島に落人達は分散していったそうです。
資盛・時房・経俊・景光は大島や琉球
有盛はトカラ平島→中之島のちに大島本島
書かれているものだけでなく、何か実証もほしいですネ。
それにしても南の島、ロマンがありますね。
[8]市杵島姫さんからのコメント(2003年12月27日 02時32分21秒 ) パスワード
  

こんばんわ、以前にもおじゃましました、鎌倉幕府御家人三浦一族和田義盛の
末裔の中学生です。私は血筋的には坂東八平氏の三浦一族ですから平氏ですが
幕府御家人で源氏方武将の末裔です。
和田合戦で滅ぼされ、わずかな命脈を今に伝える一族ですが
和田一族には和田塚という聖地があり、私達一族にはかなりの霊能力が伝わっている
ものが多いんです、私もそうなのですが私には明確な前世記憶があります。
壇ノ浦の戦いで海に沈んだ平家の武将です。「先祖ということではありません」
なかなか信じてもらえる話しでは無いので武将の名前は出しませんがそれも分かっています。この掲示板のスレッドのなかに霊的現象のお話が有りましたので書き込みさせていただきましたが以前私のサイトでもそういった記録を二姫日記として公開したらかなりの抗議のメールや疑いの念の妨害にあって公開中止という苦い経験があるのですがこちらではご理解いただける方もいらっしゃるようですので思い切って書き込みしてみました。
[9]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2003年12月27日 08時45分07秒 ) パスワード
  

市杵島姫さん

>私もそうなのですが私には明確な前世記憶があります。
>壇ノ浦の戦いで海に沈んだ平家の武将です。「先祖ということではありません」

1)
ということは和田家直系の方ではなく
和田家にお嫁にいらっしゃた方の御先祖さまに平家関連の方がいらっしゃったのかしら


2)
平家の軍事部門を担当していた藤原忠清の家老に和田さんという方がいらっしゃるので
この和田さんと市杵島姫さんの和田さんがどういう関係だったか?
同じ御苗字ですから御先祖さまは両方とも坂東で同じ平氏だったのかも。

ですから市杵島姫さんの直接の御先祖さまでなくても平家に関わった方が何か訴えているのかも。


市杵島姫さんから遡って
ご両親がお2人
お祖父母さまが4人
曾祖父母が8人
高祖父母さまが16人
と40代ぐらい計算してみてください。
総勢何人になるか予想がつきますか?
市杵島姫さんお1人でそれだけ多くの人達の血を受け継いでるんですよ。

だいたい40代前あたりが市杵島姫さんの源平時代の御先祖さまだと思います。

市杵島姫さんが生まれてくるのに膨大な御先祖さまが存在してらっしゃったのですよ。
その中には京都の姫君もいたでしょうし
平家の末裔もいたでしょうし
他のいろいろな豪族の家や
もしかすると和田家を滅ぼした敵の家からの人もいるでしょう。


系図の中に書かれていない人達ではあっても市杵島姫さんはしっかり血を受けてるのですよ。


ですから直系の御先祖さまじゃない人からの呼び掛けがあってもおかしくないですよ。
本当は直接の御先祖さまからの呼びかけの方が嬉しいんですけどね。



>以前私のサイトでもそういった記録を二姫日記として公開したらかなりの抗議のメールや疑いの念の妨害にあって

こういうのを「妬み」って言うんです。
その人達の本音は「羨ましい〜!なんで市杵島姫さんに?どうして私じゃないの?」と
悔しい!くやしい!クヤシイ!
そういう心の醜さが嫌がらせを書くのです。


市杵島姫さんはまだ中学生だから世間の恐ろしさを御存知ないですけど
大人になって市杵島姫さんが有能なキャリアウーマンになりますとね
陰でこそこそ悪口を言ったり
市杵島姫さんの手柄を横取りしたり
何年もかけて追い落としをしたりする人が出て来るんですよ。
数年計画でね。


世の中は人の能力が羨ましくてたまらないという困ったちゃんが一杯なんですよ。
そういう能力の無い人に能力のある人が
だからと言ってお裾分け出来るわけでもないのですから
どうしようもないんです。


世の中には凄い人が一杯いるのもありうるのです。
三島由紀夫は生まれてくる前からの記憶があったとおっしゃってたかしら。

世の中には外国の大学を出て就職して、
それなのに日本の昔の友人のお給料より低いお金で生きてる人も大勢いますしね。

人にはいろいろな能力があったりなかったりするものなんです。

日本では中学出ただけの人がアメリカで苦労して仕事を覚えてアメリカ人のマネージャーよりずっと多く稼いでいる人もいます。


人の能力というのは自分にはどうしようも出来ないから妬むということいくらでもありますよ。


市杵島姫さんが見る夢や起きてる時に受ける印象を記録なさったらいいですよ。
何を伝えたいのですか?とお訊きになってください。
食べ物ですか?
包帯ですか?
誰かに何か伝えたいのですか?


何十年も経ってから分かるかも知れません。
普通の人は生活してるウチに忘れてしまいますが
市杵島姫さんは忘れないでね。
[10]平 優佳梨さんからのコメント(2004年01月26日 23時05分50秒 ) パスワード
  

2003年9月、奄美大島に行ってきました。
行盛神社は戸口という集落にありました。戸口は祖母が生まれた集落で
自然に囲まれていて、他には何もないという場所でした。
石の急な階段の上に神社はあり、周りは木々で覆われていてひっそりとしていました。
神社の前に着くと一匹の柴犬のようなワン子が現れて、尻尾を振りながら
階段を先に登って案内してくれました。
人懐こい犬で帰るときも車で引きそうになるくらいずっと
追いかけてきました。
神様にお仕えしているみたいなワン子で とてもかわいかったです。

霊現象は家中にお札を貼って以来おさまっていますが、先祖が武士ということで
人を斬ってしまった後悔から、先祖が何人も救いを求めてきているのでお経を読んであげてください、といわれました。
母親がこの平家に嫁いだのは、母親にそういう霊的な力があるので、父方の先祖の
導きもあって嫁いでいるんですよ、と霊能者の方はおっしゃってました。



[11]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月27日 01時53分15秒 ) パスワード
  

平 優佳梨さま

そのワン子
どういう犬なんでしょうね。
お手伝い犬?
なかなか面白いですね。


奄美大島の戸口という集落ですか。
そして行盛さまの神社?
行盛家は藤原忠清の一党が家老をしてましたから
確かにたくさん人を斬っています。

ああ、なるほど、と思いました。
食べ物と包帯をお供えしてお経を読んであげてくださいね。
成仏しますように。
[12]布袋竹さんからのコメント(2004年01月27日 01時56分37秒 ) パスワード
  

平優佳梨さま、祖母上様の土地を訪ねられたのですね。
私も、戸口に10月出かけました。翌日のカケロマの諸鈍行きの前に・
ほかに、大島で平家伝説地を数ヶ所訪ねましたが、凡人ゆえ、皆さんのように
霊能力もなく、なにも感じられませんでしたが、黒いアゲハチョウが飛び
風光明媚な場所ばかりで、感激はありました。
平という姓は、大島にかなりあります。

近所でも、城をめぐる争いで、沢山の武士が・死に、傷ついた場所が
我が家の目の前にあり、その後、そこで、現代版八つ墓村みたいになった場所が
あります。古老に聞いたりしたら8人以上の亡くなった人がいます。
大島とは関係ない場所ですが・何かやはり、あるのでしょうね。
残念ながら・・とは、こんな場合つかっちゃいけない・・けど
平家とは、関係なく・・島津家の内輪争いです。
いま、それをまとめようとしています
[13]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年01月28日 03時03分44秒 ) パスワード
  

>平という姓は、大島にかなりあります。

ふぅ〜む・・・
平家は日本中に(更に宋まで)落ちて行ったのですねえ。



>黒いアゲハチョウが飛び

最近のわたくしは蝶柄の物を集めているのですよ。(お金がかかるからそろそろ止めようかと思ってますが)
レノックスの蝶のお皿とか
冷蔵庫のドアに使用する磁石のついた蝶のメモ挟みとか
蝶柄のスカーフとか。


黒い揚げ羽蝶が平家武士の生まれ変わりで自由に飛びまわってるなら良いな、と。
蟹よりは良いな、と。
[14]さんからのコメント(2004年03月25日 22時02分34秒 ) パスワード
  

 皆さんこんばんわ。以前、2,3度カキコミをさせていただきました。
 昨年の3月上旬、一年と少し前ですね、奄美に行きました。と言うか、通過した程度なんですが・・・。
 そのとき奄美大島のパンフレットに平家とゆかりのある神社が載っていたので、是非行っておこうと思い、名瀬から奄美空港に向かう途中、タクシーの運転手に説明して寄ってもらうことにしました。タクシーの運ちゃんの話では、有盛、行盛、資盛は最初、喜界島に落延び支配したが、3人では狭いので、奄美を支配したとのことでした。
 有盛神社は少し暗い分陰気で、空き缶などのゴミが少し散乱していたので一箇所に拾い集め、手を合わせて祈ってきました。行盛神社は対照的に明るくきれいでした。「平家として、かなりひどいこともしてきたと思うけど、今、神様として祭ってもらっている。この島に落延びた後は、きっとすごく良いことをしたんですね。」と無意識に祈っていました。誰かが聞いてくれてるようなそんな感じがしたのを覚えています。
 そして、時間があったので「あやまる岬」に寄りました。天気が良く、喜界島がはっきりと見えました。喜界島は狭く起伏もない島なので、源氏の勢力が日本全土におよび大挙して攻めてきたらひとたまりもない、だから山もあり、川もあり、猛毒の蛇もいるまさに天然の要害である奄美に侵攻したのだろう等と考えて時間を潰していました。帰る時に黒揚げ羽蝶が一匹私を待っていたかのようにひらりひらりと飛んでおり、捕まえてやろうと頭の帽子に手を伸ばしましたが、止めて、なぜか蝶に向かって”また来るよ”とつぶやいていました。
 帰りの飛行機で、昔、私の母が、”平氏の家紋は揚げ羽蝶だよ”と教えてくれたのをふと思い出し、きっと、奄美に渡った平氏の旗印は黒揚げ羽に変わったのだな、となんか確信してしまいました。
 今日、久しぶりに平熱をみて暇潰しのギャンブラーさんのコメントを読んで同じように感じておられたのですごく嬉しかったです。
[15]まゆげさんからのコメント(2004年03月25日 22時07分41秒 ) パスワード
  

 すいません、HNが”ま”になっていますが”まゆげ”です。
 別にどっちでもいいですが(笑)
[16]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年03月26日 02時03分03秒 ) パスワード
  

まゆげさん

凄い情報をありがとうございます。
私は奄美大島には興味が無かったのですが行きたくなりました。


>そのとき奄美大島のパンフレットに平家とゆかりのある神社が載っていたので、是非行っておこうと思い、
>名瀬から奄美空港に向かう途中、タクシーの運転手に説明して寄ってもらうことにしました。
>タクシーの運ちゃんの話では、有盛、行盛、資盛は最初、喜界島に落延び支配したが、3人では狭いので、
>奄美を支配したとのことでした。


非常に納得しますね。
そして
この3人は手に手をとって入水したと物語には書かれていますが
有盛神社=暗い
行盛神社=明るい
この感じが非常に分かります。

行盛は勝負がついたのだから納得してるでしょうし有盛は年若いから納得出来なかっただろうな、と。


最近は揚げ羽蝶のついた物がやたらと目につき買いたくなります。
お金がかかって大変。
でも物を集めるとするとテーマが決め易くていいですよね。
それに御先祖さまがらみの物というのは「特に良し」ですし。
[17]わお〜んさんからのコメント(2004年05月07日 12時53分11秒 ) パスワード
  

はじめまして、こんにちは。
皆さんが、本当に良く調べていらっしゃるので、感心して思い切って投稿しますね。
実は、このゴールデンウィークに、硫黄島(鬼界ヶ島)、喜界島、奄美大島とこの三島を奄美のシャーマンのユタの方と一緒にまわりました。

もちろん、平家のつながりからです。
霊視をしていただいた方からは、過去生の私が「紀伊半島から直接逃げている」から「安徳天皇の呪いがかかっている」といったような話から、その関係の場所に早く行きなさいと言われました。
知り合いのユタの方に話したところ、「それは、神つなぎ、だよ。」と言うことになり、関係の場所を調べて絞って、あとは、行けばわかるだろう見たいな感じで出発しました。(神つなぎ=魂の故郷をつぎつぎお参りし、力をもらうこと、みたいな感じでしょうか)

結果は、本当に感激の素晴らしいものでした。
呪いを解くのではなく、身に余るお力をいただいたと感じ入っております。

私の父方は、吉野の丹生川上神社(中社)と関係が深く、水の神様もその近くの川からいただきました。

そして、どうやら、その元は、なんと喜界島の厳島神社であるようです。
なぜなら、同じ家紋の垂れ幕がありました。(二つの神社と私の家は同じ家紋)
それから、この神社に私を連れてきたユタの方に「よう連れ申した」と神社に集まっていた武士のような人の一人にいわれたそうです。

とにかく、どこも休日は役場が休みで地図なしで、名前もわからないのに、きちんと関係の神社と場所をまわってきましたよ。それにしても、どこも菊の御紋がついているのですからして・・・驚きです。

鬼界ヶ島と喜界島、厳島神社と広島の厳島神社、(喜界島には住吉神社、八幡神社もある)など、通常の知識で判断すると紛らわしいものばかりです。そして、必ずしも地図には載っていませんし。

紀伊半島から直接逃げたのは、それも作戦だったのか、なんなのか、はっきりしたことは私には言えませんが、確かに硫黄島で安徳天皇が最期まで過ごされたというのが本当のように思われましたけれど。

感無量で、戻ってきたらこちらの掲示板につながりましたので、これもお導きかと感じました。
もし、ご希望であればユタ神さまの鑑定(占い)をとってもらい、島を巡られたら私のように感無量になられる方もいらっしゃるのではと思いました。(あるいは、あちらの方でも待っていらっしゃるのかも)

ユタ神様といくと、きちんと神を呼び、つなげる作法をご教授いただけ、行ってくださいますので、お薦めですよ。

まじめに、ご興味のある方であれば、是非メールをください。
私は、横浜なのですが、何人か集まっていただければ、ユタ神様をこちらにお呼びして、鑑定を行っていただけるように設定させていただいてもよいかなと思っています。もちろん、他の相談事も大丈夫ですし、直接奄美に行かれても良いと思います。



[18]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月07日 13時30分31秒 ) パスワード
  

わお〜んさん

初めまして。

良いGWになったというのがよく分かります。
そして「神つなぎ」と言うのですか。
私も経験がありますから。


>紀伊半島から直接逃げた

充分ありえますね。
維盛さまでも、ふだらく信仰での入水というのは、紀伊半島から逃げたという事かも知れませんし。
私はわお〜んさんと一緒に維盛さまが喜界島 and/or 硫黄島にやっと着いたという事なの?と思いました。
[19]布袋竹さんからのコメント(2004年05月08日 09時28分34秒 ) パスワード
  

わお〜んさまは、横浜から先に奄美に飛んで、その後鹿児島へ・
それから、三島の硫黄島に戻るように行かれたのでしょうね。
島は、どちらも鹿児島の南にあるとはいえ、船は途中寄港しないですからね。
三島は竹島・硫黄島・黒島の鹿児島港からの往復。
トカラ「十島」はトカラの往復(奄美大島に行くのもあり)
奄美は沖縄と奄美だけで、鹿児島からの船はブロック分けされて運行してますから。
ブロックの各島々も、一つの島しか渡れないようなスケジュール組みがなされ・
「よほど長い日にちをかければ可能ですが」一回一島しか数日間なら渡れません。
それゆえ、トカラは秘境と呼ばれて、今も昔の風景や心を伝えているのでしょう。

>確かに硫黄島で安徳天皇が最期まで過ごされたというのが本当のように思われましたけれど。
安徳帝の硫黄島潜幸説に、なるほどと思っている布袋竹・私は、力づけられました。
安徳帝の足跡伝説は、全国たくさん残っているのですから・・

[20]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2004年05月08日 11時30分24秒 ) パスワード
  

布袋竹さま

そんなに大変なんですか。
現代でもそんなに不便でしたら
空気はまだ平家時代を引っ張っているんでしょうね。

>それゆえ、トカラは秘境と呼ばれて、今も昔の風景や心を伝えているのでしょう。

いいですねえ。
行きたくなります。
[21]わお〜んさんからのコメント(2004年05月09日 20時08分10秒 ) パスワード
  

こんばんは!

布袋竹さまのおっしゃるとおりです。
鹿児島の島々は、どこも秘境ですね。

今回の予定を組む時に、通説の屋島や、壇ノ浦を入れていたのですが、
体が重くなり、どうも何かが違うらしいと感じており、
その時は、硫黄島は入っていませんでした。

そして、奄美の別なユタの方で一緒に回ったユタの友人の方が、
安徳天皇は硫黄島だよ、と言っているとのことで、
ホームページを出してくださっている方の
硫黄島の写真を見て、なんだか懐かしく感じ、
ここだよー、と思いました。

逆に、通説の屋島、壇ノ浦は、予定から削除。
(なんか、こちらは写真を見ていたら、怖いとしか感じなかったのですね)

それで、鹿児島にまず入り、翌日から、
硫黄島1泊2日(村営のフェリー)。
そして、鹿児島から奄美に入り、
翌日、奄美から喜界島に行き、日帰り。
翌日、奄美の今井権現(ユタの最高聖地)と言う行程でした。

実は、今回のことで、わかったのは、
この奄美のユタの最高聖地の今井権現の上に、
「あぶりがな」と言うお名前の方(多分、ノロだったかた)のお墓(名前の刻まれていない石だけのもの)があり、
それは、安徳天皇を産んだ方であるということでした。
その一族もおまつりされているとか・・・。

今井権現には、大和のほうからお参りによく人が来ていたようです。
そして、その石段に使われている石は、
竹島や硫黄島から運んできたそうです。

天照大神は今井権現のあるところに降臨したそうなので、
今では、本土を中心に考えがちですが、
元は、奄美だったと私は感じました。

硫黄島の、皇居跡となっている俊寛が作ったと言われる
熊野神社も、同行ユタの話では、
「大きな男の人がいる。この神社は真ん中の建物から、両端に
別な建物があり3つの部分からできていたのだろう〈見える)。」
とのことでした。

資料館を見れば、もう少しはっきりしたことが掴めたかもなのですが。

硫黄島への村営の船はとてもきれいな船でしたが、
船の運航予定で、二日島に足止めになる日もあります。
もう少し、交通として何とかならないのかなぁともおもいました。
島の、小学生は3人で、あとは本土から募った子供が数人いるだけなのだそうですし・・・。

鹿児島のこれらの秘境の島ヶには、
本当の(裏のというべきでしょうか?)日本の歴史が秘められていると感じました。



[22]布袋竹さんからのコメント(2005年05月26日 14時06分58秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

古いスレッドを引っ張り出すのも、気がひけましたが・・
きょうの鹿児島の「南日本新聞」に以下の記事が出ていました。
http://373news.com/2000picup/2005/05/picup_20050526_7.htm
あくまで伝説ですが、平資盛公がやってきた800年記念行事が
奄美大島隣の、喜界島で行われた。

現在、takahiroさのま、「池家・小松家の中のスレッド」で
平有盛の兄にあたります。
ほかの兄弟の末裔の話も、これから展開されると思います。
[23]布袋竹さんからのコメント(2005年10月07日 19時39分54秒 ) パスワード
URL=http://www.minc.ne.jp/~hotei/heike.html

隣の喜界島が前スレッド「22」に800年祭り。
そして、そこからやってきたと言われる奄美大島やカケロマ島が
明日からの三連休に、平家伝来800年祭りが行われます。
このスレッドのトップの島唄披露や、資盛がはじめたと伝来される
諸鈍シバヤもあります。

3−4年前は、撮影会をロケハンを紅葉の椎葉村で行い
ロケハンと本番で、その時もここ椎葉で、平家800年祭りの最中でした。

今年も、奄美に出掛けたいのですが、その期間は
「飛鳥」で境港と佐渡島と屋久島に出かけるため涙を飲んでいます。

諸鈍シバヤは、平資盛が来島してちょうど800年ということ、
10月の3連休とちょうど重なるということで、町をあげて
「平家来島800年記念祭」という大きなイベントとして行われます。

諸鈍シバヤともうひとつ有名な油井シバヤとで共演したり、加計呂麻島出身の
島唄第一人者の朝崎郁恵のミニコンサートを行ったり、島全域を使って
ウォークラリーを開催したり。

平家来島800年記念祭HP
http://www.amami-setouchi.org/kizon/seto5/top.html

[24]暇潰しのギャンブラーさんからのコメント(2005年10月08日 04時30分23秒 ) パスワード

http://www.amami-setouchi.org/kizon/seto5/top.html

拝見しました。

「敦盛は何処?」と捜す画像には心を締め付けるものがありました。


遠いので行けませんが
それでも行くという人はやっぱりかなりの平家の血が流れている人なんでしょうね。
[25]toさんからのコメント(2006年11月10日 21時55分50秒 ) パスワード

初めまして。通りすがりのものです。
私の父方の実家も奄美で、正月に雪を降らす慣わしがあるそうです。
宮崎出身の知り合いがいて、たまたま平家の話がでて話したら、同じ事をしていたと、意気投合したもんです。(ちなみに雪とは、白砂を撒く事)
遠いロマンですな〜
[26]ひでさんからのコメント(2010年02月15日 18時59分01秒 ) パスワード

以前沖縄のユタと沖縄、本土と
まわっていました。
その時平家の流れといわれていました。
暫くして今、喜界島から呼ばれています。
聖地の情報などないでしょうか?
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