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 投稿番号:100380 投稿日:2002年10月07日 20時53分15秒  パスワード
 お名前:伊藤 美樹
『平家物語』:清盛クーデターの理由
キーワード:清盛
コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

清盛が白河上皇を攻めた理由が4つぐらいあった氣がしますが
重盛の死に対する何が清盛を怒らせたのでしたっけ?
清盛がクーデターを起こした理由を教えて下さい!!!

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 01時24分45秒 ) パスワード
  

角川文庫(上)164頁の最後の2行目から理由が書かれてます:


その前にこういう事件がありました。
8月1日重盛が死んで宗盛が跡を継ぐことになったが宗盛は温厚なだけで政治力が不足している人物であった。
11月7日夜地震があった。嫌な予感。
11月14日清盛数千騎の大軍を率いて福原より京に戻る。


で、クーデターの理由:
1)
重盛が死んだ時に悲しみを共にしてくれなかった。←喪が明けないのに法皇が御遊(管弦の遊び)をした
2)
子孫が永代受けるとされてた越前国の所領を法皇が没収したこと。
3)
中納言職が空いた時、清盛は娘婿・基実の息子・基通にとお願いしたのに
基房の3男師家が基通を飛び越えてこの職を貰ったこと。
4)
位階や家嫡を勝手にすること
5)
成親以下の者どもに鹿谷の謀反を法皇が許したこと。


以上理由5つ清盛は静憲法印に怒り・涙を流しながら語りました。



その後のいきさつは
11月16日怒りが収まらない清盛は朝廷の関白・基房以下43人の官職を解いて追放した。

11月20日法皇の御所である法住寺殿を軍隊でもって取り囲んで法皇に御遷幸願った。

法皇の御遷幸には従う者がいなかった。


結果
こうして院政が停止した。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 01時27分19秒 ) パスワード
  

一般人の「拉致」は法皇の場合は「御遷幸」と言うのですねえ。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 01時33分08秒 ) パスワード
  

>清盛が白河上皇を攻めた理由が4つぐらいあった氣がしますが

「清盛が<後白河法皇>を攻めた理由が4つぐらいあった氣がしますが」

に書き直しましょうね。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 01時34分19秒 ) パスワード
  

「平家物語紀行」は参考になりますよ。
本当に良い本です。
[5]服部 明子さんからのコメント(2002年10月08日 02時35分38秒 ) パスワード
  

この部分は「源平盛衰記」巻11に詳しいです。

清盛は重盛の49日の喪中に管弦の遊びを催したのを怒ってますね。
保元平治の合戦で命をかけて法皇を守ったのに他にもいろいろご奉公してきたのに
ちっともアプリシエイトしてくれない、とも。
子孫代々までと言われて貰った重盛の所領を重盛が亡くなるとすぐに召し上げられたこと。
娘の夫の息子にとお願いした官職を政敵の基房の3男に上げたこと。
近習の者に平家を滅させようとしたこと。


S1111 浄憲与(二)入道(一)問答事


以(レ)是父よりも眤、子よりもなつかしきは、君と臣との道とこそ承候へ、
惜こそ候しか、
重盛(しげもり)が中陰未四十九日も過ざるに、八幡の御幸有て御遊(ぎよいう)候けり、
法住寺(ほふぢゆうじ)の御会も候けり、
哀不便の仰こそなからめ、人目の恥かしさ、入道が伝承らん事、
などか御かへりみもなかるべき。
御房も御存知候らん、小松内府は其器こそ愚に候しかども、勅定には忠を抽で、志を運き。

されば保元平治の合戦にも、命をば為(レ)君軽じ、屍をば戦場に捨んとこそ挙動侍しか、
及(二)天聴(一)人口にもほめられき。其後大小度々の騒動も、毎度に選れ進せて、院宣と申勅命と申、旁御感に不(レ)預と云事なし。

されば越前国を重盛(しげもり)が給し時は、子々孫々(ししそんぞん)までとこそ
被(二)仰下(一)しか、それに重盛(しげもり)逝去の後、即被(二)召上(一)之条、
死骸何の過怠か候。

其外中納言の闕の侍し時、二位中将殿(ちゆうじやうどのの)御望候の間、
入道再三執申しに空くして、関白殿(くわんばくどの)の御子息(ごしそく)、
三位中将殿(ちゆうじやうどの)、非分になられたりし事、縦入道何なる非拠を執申と
(有朋上P376)も、一度はなどか御許容なかるべき。

況家の嫡々と云位階の次第と云、旁御理運にて御座を、被(二)引違(一)し事、
老後の所望面目を失侍き。
二位中将殿(ちゆうじやうどの)も申かなへんずらんと思給へばこそ、
入道をば被(二)憑仰(一)けめ、入道も又さり共(とも)とこそ存じて
奏申しに、
不(レ)叶しかば、口惜こそ存しか。
但し是は君の御計のみに非、執申人余多(あまた)侍りけると承及き。

次に近習の人々、此一門を亡さんと相はからはれける、是又私の計にあらず、
叡慮の趣を守る故也。いまめかしき申事には侍れども、
縦入道何たる過誤り有共、七代迄は争か思召(おぼしめし)捨らるべき。
其に入道既(すで)に七旬に及で余命幾ならず、一期の間にも、動すれば可(レ)被(レ)失御計に及申さんや。子孫相続して、一日片時召仕るべき事難し。凡は老て子を失は、朽木の枝なきに喩たり。内府におくるゝを似て、運命の末に望める事を且知れ候ぬ。去ばこそ天気の趣も、現申事も軽く、
人望にも背き侍らめ。何なる奉公
P0275
を致とも、叡慮に応ぜん事よもあらじ。此上は幾ならぬ身心をつひやしても、何にせんなれば、兎ても角
ても侍なん。悪事不孝の子すら別は悲事ぞかし。何に況重盛(しげもり)は奉公と申才芸と申、至孝と云
心操と云、礼儀よく治て、人是を軽ぜず、永き別の習なれば、再相見べきにあらず、恩愛の慈悲骨髄に徹
て悲こそ存ぜしに、老父が歎き思召(おぼしめし)よりて、などか一度の御憐なかるべき。(有朋上P37
7)されば院中の奉公無(レ)益に侍と、憚処なく被(レ)申ても、入道はら/\とぞ泣給ける。
[6]伊藤 美樹さんからのコメント(2002年10月09日 23時34分49秒 ) パスワード
  

読み直してみて、あれ??っと思ったのは「後」が無かったからなのですね・・・。
まったく恥ずかしい事です。
私はまだわからないことが沢山あるので、教えていただいた事を
調べて理解したいと思います。「位階や家嫡」もひとつひとつ調べないと
わからないので・・・。ありがとうございます!!
[7]服部 明子さんからのコメント(2002年10月10日 00時38分49秒 ) パスワード
  

「位階や家嫡」というのは私も分かりませんが

後白河法皇は勝手に位を上げたり褒美を上げたり
家庭での上下を無視して下の者を過分な取り立てをする事じゃないか
と思ってます。


義経が兄・頼朝から恨まれたのも
義経が後白河法皇から頼朝の許可無しで任官されて受けていい気になってたからです。


でも、もしお分かりになりましたら伊藤さんからも教えて下さいね。
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