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 投稿番号:100377 投稿日:2002年10月03日 00時53分36秒  パスワード
 お名前:川口さまの代理
電子図書:源平盛衰記全48巻

コメントの種類 :書籍・文献  パスワード

川口さまより教えて頂きました「源平盛衰記」のサイトの転載です。
ありがとうございました。

以下、川口さまの書き込みです。


電子図書でページアップされてます。
 源平盛衰記:巻1〜36巻
 
  http://www.j-text.com/sheet/seisui1.html

(読み仮名付き)と(読み仮名なし)があります。
seisuiの後の数字を変えれば好きな巻に行き着きます。
なにしろ膨大な量なので少しずつ読んで見ては如何ですか。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年10月05日 05時49分33秒 ) パスワード
  

巻1

http://www.j-text.com/seisui/gs01.html

平家繁昌竝特長壽院導師事

五節夜闇打附五節始竝周成王臣下事

兼家李仲基高家継忠雅等拍子附忠盛卒事

清盛行(二)大威徳法(一)附行(二)陀天(一)竝清水寺詣事



1132年忠盛36歳の初昇殿に平六家長は17歳と記されていました。
父親の家貞( 1082 〜 1167) 50歳の出来事。


清盛と頼盛が仲が悪いとして平家に伝わる「小烏丸」の太刀を頼盛が相続したから?
[2]川口 信さんからのコメント(2002年10月05日 07時35分46秒 ) パスワード
  

同「源平盛衰記」巻29より抜粋(倶利伽羅峠:為盛討死の事)

 去程に夜明日出る程に成にけり。参川守知度は、赤地錦の直垂に、紫すそごの冑に、黒鹿毛なる馬に乗て、西の山の麓を北に向て、五十餘騎を相具して、声をあげ、鞭を打て、敵の中へ懸入ければ、右兵衛佐為盛、魚綾の直垂に萌黄匂冑に、連銭葦毛の馬に乗て、同連て蒐入けり。此両人、倶に、容貌優美也ける上、冑毛直垂の色、日の光に映じて耀計に見えければ、義仲是を見て、今度の大将軍と覚たり、餘すな者共とて、紺地の錦直垂に、黒糸威の冑に、黒き馬にぞ乗たりける。眉の毛逆に上りて、目の尻悉にさけたり。其體等倫に異也。二百餘騎を率して、北の山の上より落し合て押圍み、取籠て戦けり。知度朝臣は馬を射させてはねければ、下立たりけるを、岡田冠者親義落合たり。知度太刀を抜て甲の鉢を打たりければ、甲ぬけて落にけり。二の太刀に頸を打落てけり。同太郎重義続いて落重る。知度朝臣の随兵二十餘騎、おり重て彼を討せじと中にへだたらんと(有朋下P125)す。親義が郎等三十餘騎、重義を助んとて、落合つゝ互に戦けり。太刀の打違る音耳を驚し、火の出る事電光に似たり。爰にてぞ源平両氏の兵、数を盡て討れにけり。知度朝臣は難(レ)遁かりければ、冑の引合切捨つゝ、自害して伏にけり。兵衛佐為盛は岡田小次郎久義に組んで、木曾が郎等樋口兼光に頸を取られたり。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年10月05日 08時56分10秒 ) パスワード
  

まだ巻2です。道は遠し。

http://www.j-text.com/seisui/gs02.html

清盛息女事
基盛打(二)殿下御随身(一)附主上上皇除目相違事
新帝御即位同崩御附郭公並雨禁獄事
額打論附山僧焼(二)清水寺(一)並会稽山事


清盛に娘が8人いた。
でも廊の御方はどこに?

基盛が乱暴者であったこと。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年10月05日 09時15分16秒 ) パスワード
  

巻3

http://www.j-text.com/seisui/gs03.html

諒闇(りやうあんの)事(こと)
高倉院春宮立御即位事
法皇熊野山那智山御参詣事
資盛乗会狼藉事
一院女院厳島御幸事
澄憲祈(レ)雨事
[5]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 05時30分19秒 ) パスワード
  

巻4

http://www.j-text.com/seisui/gs04.html

 鹿谷酒宴静憲止(二)御幸(一)事
 涌泉寺(やうせんじ)喧嘩事
白山神輿登山事
殿下御母立願事
 山門御輿振事
豪雲僉議(せんぎの)事
 頼雅歌事
 山王垂跡(すいしやくの)事 
 京中燒失事
 盲ト事
 大極殿焼失事



追書に云、禁獄官兵等之交名、山上定令(二)不審(一)候歟、仍内々委相尋尻付交名一通、所(レ)
被(二)相副(一)候也、平利家字平次、是は薩摩入道家季孫、中務丞家資子、同家兼字平五、故筑後入
道家貞孫、平田太郎家継子、藤原通久字加藤太、同成直字十郎、是は右馬允成高子、同光景字新次郎、是
は前左衛門尉忠清子、成田兵衛尉為成、田使俊行、難波吾郎と注したり。
[6]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 05時43分59秒 ) パスワード
  

巻5

http://www.j-text.com/seisui/gs05.html

 座主流罪事
 山門奏状事
 一行流罪事
 山門落書事
 行綱中言事
 成親已下被(二)召捕(一)事
 小松殿(こまつどの)教訓事



 成親已下被(二)召捕(一)事
同廿九日、入道上洛して西八条の宿所に著きて、肥後守(ひごのかみ)、飛騨守を召て、貞能(さだよし)、景家、慥に承れ、謀叛之輩多し。与力同心の上下の北面等、一人も漏さず可(二)搦進(一)之由、行綱が口状に付て下知し給。又一門の人々侍共に可(二)相触(一)とて、使を方々へ遣ければ、右大将宗盛、三位中将知盛、左馬頭(さまのかみ)重衡已下の一門の人々甲冑を著し、弓箭を帯して馳せ集る。其外軍兵聞伝て馳参ければ、其夜の中に、四五千騎こそ集つたれ。又貞能(さだよし)景家は、二百騎、三百騎の勢にて、此彼に押寄押寄搦捕、京中の騒ぎ不(レ)斜(なのめならず)。
[7]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 06時10分37秒 ) パスワード
  

巻6

http://www.j-text.com/seisui/gs06.html

 丹波(たんばの)少将(せうしやう)被(二)召捕(一)
 西光父子亡事
 西光卒都婆事
 大納言音立事
 小松殿(こまつどの)教(二)訓父(一)事
 内大臣(ないだいじん)召(レ)兵事
 幽王褒■[女+似](ほうじ)烽火事



西光父子亡事
西光(さいくわう)法師(ほふし)は、入道の三男に三位中将知盛の乳人に、
紀伊次郎兵衛為範と云者が舅也けるに依て、
為範が主の三位中将に歎申、中将又様々に預り候はんと被(レ)申けれ共、
入道不(二)(有朋上P188)用給(一)、責ては手に懸んより、聟にて侍べれば為範に預給候へと、低臥被(レ)申けれ共、種々の悪口申たりけるに依て、入道終に聞入給ず、口を割れて被(二)禁置(一)たりけるを、松浦太郎高俊承つて朱雀大路に引出し、なぶり切にぞ切てげる。郎等三人同被(レ)切。見
聞の者中に、哀西光(さいくわう)法師(ほふし)は詮なき悪口して口を割るゝのみに非ず、終に被(レ)切ぬる無慙さよ、



 内大臣(ないだいじん)召(レ)兵事
内大臣(ないだいじん)は、入道猶も腹悪き人なれば、院参(ゐんざん)の事もやあらんずらんと思召(おぼしめし)ければ、其悪行を塞がん為と覚しくて、主馬(しゆめの)判官(はんぐわん)盛国(もりくに)を使にて、重盛(しげもり)こそ別して天下の大事を聞き出したれ、我P0148を吾と思はん者共は急ぎ参れと被(レ)催たり。是を承る者共、おぼろげにては騒給は(有朋上P204)ぬ人の、係る仰の下るは実に別の子細の有にこそとて、難波(なんばの)次郎(じらう)経遠(つねとほ)、妹尾(せのをの)太郎(たらう)兼康(かねやす)筑後守(ちくごのかみ)家貞(いへさだ)、肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)等を始として、如法夜中の事なれども、我先にとぞ馳参りける。
[8]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 09時27分36秒 ) パスワード
  

巻7

http://www.j-text.com/seisui/gs07.html

 成親卿(なりちかのきやう)流罪事
 丹波(たんばの)少将(せうしやう)召下事
 笠島道祖神事
 大納言出家事
 信俊下向事
 康頼造(二)卒都婆(一)事
 和歌徳事
 近江石塔寺事
[9]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 09時35分33秒 ) パスワード
  

巻8

http://www.j-text.com/seisui/gs08.html

 漢朝蘇武事
 善友悪友両太子事
 大納言入道薨去事
 大納言北方出家事
 讃岐院事
 宇治左府贈官事
 彗星出現事
 法皇三井灌頂(くわんぢやうの)事
[10]服部 明子さんからのコメント(2002年10月06日 12時31分11秒 ) パスワード
  

巻9

http://www.j-text.com/seisui/gs09.html

 堂衆軍事
 山門堂塔事
 中宮御懐妊事
[17]服部 明子さんからのコメント(2002年10月07日 09時36分14秒 ) パスワード
  

これをアップするのを忘れておりました。


巻10

http://www.j-text.com/seisui/gs10.html

 中宮御産事
 頼豪(らいがう)祈(二)出王子(一)事
 赤山大明神(だいみやうじん)事
 良真祈(二)出王子(一)事
 頼豪(らいがう)成(レ)鼠事
 守屋成(二)啄木鳥(一)事
 三井寺(みゐでら)戒壇不(レ)許事
 丹波(たんばの)少将(せうしやう)上洛事
 康頼入道著(二)双林寺(一)事
 有王渡(二)硫黄島(一)事
[18]服部 明子さんからのコメント(2002年10月09日 07時02分36秒 ) パスワード
  

巻11

http://www.j-text.com/seisui/gs11.html

 有王俊寛問答事
 小松殿(こまつどの)夢同熊野詣事
 旋風事
大臣所労事
燈炉大臣事
 育王山送(レ)金事
 経俊入(二)布引瀧(一)事
 将軍塚(しやうぐんづか)鳴動事
 大地震事
 静憲法印勅使事
 浄憲与(二)入道(一)問答事
白川院
 金剛力士兄弟事



巻12

http://www.j-text.com/seisui/gs12.html

 大臣以下流罪事
 師長熱田社琵琶事
 教盛夢忠正為義(ためよし)事
 行隆被(二)召出(一)事
 一院鳥羽篭居事
 静憲鳥羽殿(とばどの)参事
 主上鳥羽御篭居御歎事
 安徳(あんとく)天皇(てんわう)御位事
 新院厳島鳥羽御幸事




巻13

http://www.j-text.com/seisui/gs13.html

 新院自(二)厳島(一)還御事
 入道信(二)厳島(一)並垂迹事
 高倉宮(たかくらのみや)廻宣附源氏汰事
 鳥羽殿(とばどの)鼬沙汰事
 法皇自(二)鳥羽殿(とばどの)(一)還御事
 熊野新宮軍事
 高倉宮(たかくらのみや)信連戦事
 高倉宮(たかくらのみや)籠(二)三井寺(みゐでら)(一)事





巻14

http://www.j-text.com/seisui/gs14.html

 木下馬事
 周朝八匹馬事
 小松大臣情事
 三位(さんみ)入道(にふだう)入寺事
 山門変改事





巻15

http://www.j-text.com/seisui/gs15.html

 高倉宮(たかくらのみや)出寺事
 万秋楽曲事
 蝉折笛事
 宇治合戦附頼政(よりまさ)最後事
 宮中(二)流矢(一)事
 季札剣事
 南都騒動始事
 相形事



上総守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)、相国禅門(しやうこくぜんもん)に申けるは、今
度合戦の高名、足利(あしかがの)太郎(たらう)忠綱(ただつな)が宇治川(うぢがは)の
先陣の故也。向後の為に、速に勧賞候べしと、細々申ければ、入道大に感じて忠綱(ただつ
な)をめし、宇治川(うぢがは)の先陣返々神妙(しんべう)、勧賞乞に依べしと宣ふ。忠綱
(ただつな)畏て、靭負尉(ゆぎへのじよう)、検非違使(けんびゐし)、受領をも申べく候
へ共、父足利(あしかがの太郎(たらう)俊綱(としつな)が、上野十六郡の大介と、新田庄
を屋敷所に申候しが、其事空く候き。御恩には、同は父が本意をもとげ、身の面目にもそなへ
ん為に、彼両条をゆるし給り候はんと申。入道(有朋上P508)当座に被(二)下知(一)た
り。忠綱(ただつな)大に悦〔の〕眉を開て宿所に帰る。足利が一門此事を聞て、十六人連署
して訴訟す。宇治河(うぢがは)を渡す事、忠綱(ただつな)一人が高名に非ず、一門不(
レ)与ば忠綱(ただつな)争か渡すべき。されば勧賞は十六人に配分候べし、忠綱(ただつ
な)が大介を不(二)召返(一)ば、向後の御大事(おんだいじ)には忠綱(ただつな)一人
を召れ候べしと、一事に三度まで申たりければ、入道力及給はで、巳時に給たりける御教書
を、未刻に被(二)召返(一)けり。午時許ぞ有ければ、京童部(きやうわらんべ)が、足利
(あしかがの)又太郎(またたらう)が上野の大介は、午介とぞ笑ける。





巻16

http://www.j-text.com/seisui/gs16.html

 帝位非(二)人力(一)事
 満仲(まんぢゆう)讒(二)西宮殿(にしのみやどの)(一)事
 円満院(ゑんまんゐんの)大輔(たいふ)登山事
 三位(さんみ)入道(にふだう)歌等附昇殿事
 遷都附将軍塚(しやうぐんづか)附司天台事
[19]服部 明子さんからのコメント(2002年10月09日 09時31分47秒 ) パスワード
  

巻17

http://www.j-text.com/seisui/gs17.html


 福原京事
 祇王祇女仏前事
 新都有様(ありさま)事
 隋堤柳事 
 実定上洛事
 待宵侍従附優蔵人事
 大場早馬事
 謀叛不(レ)遂(二)素懐(一)事
 栖軽取(レ)雷事
 蔵人取(レ)鷺事
 始皇(しくわう)燕丹并(ならびに)咸陽宮事
 匂践夫差事
 光武天武即位事



巻18

http://www.j-text.com/seisui/gs18.html

 文覚頼朝(よりとも)勧(二)進謀叛(一)事
 孝謙帝愛(二)道鏡(一)附松名宇佐勅使事
 文覚高雄勧進附仙洞管絃事
 文覚流罪事
 文覚清水状天神金事
 竜神(りゆうじん)守(二)三種心(一)事




巻19

http://www.j-text.com/seisui/gs19.html

 文覚発心附東帰節女事
 文覚頼朝(よりとも)対面附白首附曹公尋(二)父骸(一)事
 文覚入定京上事
 義朝(よしとも)首出(レ)獄事
 聞性検(二)八員(一)事
 兵衛佐(ひやうゑのすけ)催(二)家人(一)事
 佐々木取(レ)馬下向事
[20]服部 明子さんからのコメント(2002年10月09日 13時37分27秒 ) パスワード
  

巻20

http://www.j-text.com/seisui/gs20.html

 八牧夜討事
 小児読(二)諷誦(一)事
 佐殿大場勢汰事
 石橋合戦事
 公藤介自害事
 楚効荊保事
 高綱賜(二)姓名(一)附紀信仮(二)高祖名(一)事



巻21

http://www.j-text.com/seisui/gs21.html

 兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)隠(二)臥木(一)附梶原助(二)佐殿(
一)事
 聖徳太子(しやうとくたいし)椋木附天武天皇(てんわう)榎木事
 小道地蔵堂附韋提希夫人事
 大沼遇(二)三浦(一)事
 小坪合戦事




巻22

http://www.j-text.com/seisui/gs22.html

 衣笠合戦事
 土肥焼亡舞同女房消息(せうそく)附大太郎烏帽子(えぼし)事
 宗遠値(二)小次郎(こじらう)(一)事
 佐殿漕(二)会三浦(一)事
 大場早馬立事
 千葉足利催促事
 俵藤太将門(まさかど)中違事
 入道申(二)官符(一)事



巻23

http://www.j-text.com/seisui/gs23.html

 新院厳島御幸附入道奉(レ)勧(二)起請(一)事
 朝敵追討例附駅路鈴事
 貞盛(さだもり)将門(まさかど)合戦附勧賞事
 忠文祝(レ)神附追(二)使門出(一)事
 源氏隅田河原取(レ)陣事
 畠山推参附大場降人事
 平氏清見関下事
 真盛京上附平家逃上事
 新院自(二)厳島(一)還御附新院恐(二)御起請(一)附落書事
 義経軍陣来事
 頼朝(よりとも)鎌倉入勧賞附平家方人罪科事




富士川の戦いで負けた平家のお話:

太政(だいじやう)入道殿(にふだうどの)の門に落書あり、
奈良法師の読たりけるとかや。
  

富士川のせゞの岩越水よりも早くも落るいせ平氏哉  


平家と書てはひらやとよむ、家のまろび倒れんずるには、
助と云ひて柱の代に大なる木を以てさゝへ直事あり。

平家の大将軍に下給へる権亮少将落ければ、
右大将(うだいしやう)宗盛の騒歎給ふらんと云にそへて、

  ひらやなる宗盛いかにさわぐらん柱とたのむ助を落して 

又源氏推寄たれ共敵もなし。


富士川のはたを見れば、物具(もののぐ)多捨たる中に、
忠清(ただきよ)
と銘書たる鎧唐櫃一合あり。

武者の具をば既(すで)に捨ぬ、今は遁世(とんせい)して墨染の衣をきよとも読たり。
  

富士川に鎧は捨てつ墨染の衣たゞきよのちの世のため  

と、又上総守(かづさのかみ)といへば、其国の器によそへても読たり。

  忠清(ただきよ)はにげの馬にや乗つらん懸ぬに落るかづさしりがい 
 
入道は是を見彼を聞くに付ても安からず思はれければ、
権亮少将をば鬼界が島へ流し失へ、←←←維盛のこと
忠清(ただきよ)をば首を刎よとぞ嗔り給(たま)ひける。
[21]服部 明子さんからのコメント(2002年10月12日 10時17分09秒 ) パスワード
  

巻24

http://www.j-text.com/seisui/gs24.html

 大嘗会(だいじやうゑ)儀式附新嘗会事
 山門都返奏状事
 都返僉議(せんぎの)事
 両院主上還御事
 頼朝(よりとも)廻文附近江源氏追討使事
 坂東落書事
 南都合戦同焼失附胡徳楽河南浦楽事
 仏法(ぶつぽふ)破滅事




巻25

http://www.j-text.com/seisui/gs25.html

 大仏造営奉行勧進事
(はらかの)奏吉野国栖事
 春日垂迹事
 行(二)御斉会(一)并(ならびに)新院崩御(ほうぎよ)附教円入滅事春日
垂迹事
 此君賢聖并(ならびに)紅葉山葵宿禰附鄭仁基女事
 時光茂光御方違盗人事
 西京座主祈祷事
 小督局事
 前後相違無常事
 入道進(二)乙女(一)事




巻26

http://www.j-text.com/seisui/gs26.html

木曾謀叛事
 兼遠起請事
 尾張国目代(もくだい)早馬事
 平家東国発向附大臣家尊勝陀羅尼事
 義基法師首渡事
 知盛所労上洛事
 宇佐公通脚力附伊予国飛脚事
 入道得病附平家可(レ)亡夢事
 御所侍酒盛事
 蓬壺焼失事
 馬尾鼠巣例并(ならびに)福原怪異事
 入道非(二)直人(一)附慈心坊得(二)閻魔請(一)事
 祇園女御事
 忠盛婦人事
 天智懐妊女賜(二)大織冠(一)事
 平家東国発向并(ならびに)邦綱卿(くにつなのきやう)薨去同思慮賢事
 如無僧都(そうづ)烏帽子(えぼし)同母放(レ)亀附毛宝放(レ)亀事
 行尊琴絃附静信箸事
 法住寺殿(ほふぢゆうじどの)御幸附新日吉新熊野事
[22]服部 明子さんからのコメント(2002年10月12日 11時44分04秒 ) パスワード
  

巻27

http://www.j-text.com/seisui/gs27.html

S2701 墨俣川合戦附矢矯川軍(やはぎがはいくさの)事
S2702 太神宮祭文東国討手帰洛附天下餓死事
S2703 頼朝(よりとも)追討庁宣附秀衡系図事
S2704 信濃横田川原軍事
S2705 周武王誅(二)紂王(ちうわう)(一)事
S2706 資永中風死事
S2707 源氏追討祈事
S2708 奉弊使定隆死去附覚算寝死事
S2709 実源大元法事
2710 大嘗会(だいじやうゑ)延引事
S2711 皇嘉門院蒙御附覚快入滅事
S2712 法住寺殿(ほふぢゆうじどの)移徙事



巻28

http://www.j-text.com/seisui/gs28.html

S2801 天変附踏歌節会事
S2802 役行者事
S2803 顕真一万部(いちまんぶ)法華経(ほけきやう)事
S2804 宗盛補(二)大臣(一)并(ならびに)拝賀事
S2805 頼朝(よりとも)義仲(よしなか)悪事
S2806 源氏追討使事
S2807 経正竹生島詣并(ならびに)仙童琵琶事
S2808 斉明射(二)蟇目(一)事
S2809 源氏落(二)燧城(一)事
S2810 北国所々合戦事



S2806 源氏追討使事
寿永二年四月十七日(じふしちにち)、木曾追討の為に官兵北国に発向。其より東国に責入て頼朝(よりとも)を誅すべしと聞ゆ。大将軍には権亮三位中将(ごんのすけさんみのちゆうじやう)維盛卿、越前三位通盛卿、薩摩守忠度、左馬頭(さまのかみ)行盛、参河守知度、但馬守経正、淡路守清房、讃岐守維時、刑部大輔度盛、侍大将には、越中前司盛俊、子息太郎判官盛綱、同次郎兵衛尉盛嗣、上総守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)、子息五郎兵衛(有朋下P085)尉忠光、七郎兵衛景清、飛騨判官景家(かげいへ)、子息大夫判官(たいふはんぐわん)景高、上総判官忠経、河内判官季国、高橋判官長綱、武蔵三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国以下、受領検非違使(けんびゐし)、靱負尉、兵衛尉、有官輩三百四十余人(よにん)、武勇に携る者は、大略数を尽して下し遣す。此外畿内は、山城、大和、摂津国(つのくに)、河内、和泉(いづみ)、紀伊国の兵共(つはものども)、去年より被(二)催上(一)たり。東海道には遠江以東は不(レ)参。伊賀、伊勢、尾張、参河の輩は当参、近江、美濃、飛騨、三箇国の兵、少々参。北陸道には、若狭以北之者は不参。山陰道(せんいんだう)には、但馬、丹後、因幡、伯耆、出雲、石見、山陽、南海、西海、四国の者は不参。西国(さいこく)には、播磨、美作(みまさか)、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、豊前、豊後、筑前、筑後、大隈、薩摩、此国々の者共は、去年の冬より被(二)召上(一)、年明ば馬の草飼に付て、合戦有べきと被(二)相議(一)たりければ、加様に夏に成てぞ打立ける。著到披見之処に、其(その)勢(せい)十万余騎(よき)、大将軍六人、宗徒の侍二十余人(よにん)、先陣後陣を定め、我先々々と、思々に駒を早めて下けり。
中にも武蔵国住人(ぢゆうにん)長井(ながゐの)

斎藤別当実盛は、本加賀国の者にて、今度は殊に勇て下けり。
[23]服部 明子さんからのコメント(2002年10月12日 13時26分35秒 ) パスワード
  

倶利伽羅峠の戦いは「火牛の計」が有名な余り
巻29の様子とは随分印象が変わってきます。



巻29

http://www.j-text.com/seisui/gs29.html

S2901 般若野軍事
S2902 平家礪並志雄二手事
S2903 三箇馬場願書事
S2904 倶梨迦羅山事
S2905 源氏軍配分事
S2906 新八幡願書事
S2907 砥並山合戦事
S2908 平家落上所々軍事
S2909 俣野五郎並長綱亡事
S2910 妹尾並斉明被(レ)虜事



先畠山には兼光、先陣仕れと下知すれば、承候ぬとて、

一番樋口次郎兼光百五十騎、元来約束の事也、平家の二人源氏の一人を宛たれば、畠山が三百騎に、樋口が百五十騎を相具して、押寄たり。畠山は軍構ぞしたりける。鶴翼の軍とて鶴の羽をひろげたるが如くに、勢をあばらに立廣て、小勢を中に取籠る支度也。樋口は魚鱗のP711戦とて、先細に中太に、魚の鱗を並たる様に、馬の鼻を立並ぶ。畠山が三百騎、樋口が百五十騎をくるりと巻籠たれば、兼光が小勢、重能が大勢を、さと打破て出、出れば巻れ、巻ては出ぬ、籠ては散ぬ、散ては籠ぬ、討つ討れぬ、五六度までこそ戦けれ。畠山が勢二百騎討れて、百騎に成ぬ。樋口が勢百騎討れて、五十騎になる。其後両方さと引。

二番上総守忠清、五百騎にて推寄たり。今井四郎兼平、二百五十騎にて出合たり。寄つ返つ、追つ追れつ、暫戦て引退。

三番飛騨守景家、千騎にて向たり。楯六郎親忠、五百騎にて寄合す。弓矢を以て勝負する者もあり、太刀打して死する者も有、引組で腰の刀にて亡も在、暫戦て両方さと引退。

四番越中前司盛俊、二千餘騎にて蒐出たり。落合五郎兼行、千餘騎にて寄懸たり。或百騎或十騎入組入組、集ては散、散ては集り、一時戦て引退。

五番越中次郎兵衛盛嗣、上総(有朋下P131)五郎兵衛尉忠光、二千騎にて進出でたり。水巻、石黒、林、富樫、佐見、一門、千騎にて、寄合す。懸れば引、引ては懸、射も有、伐も在、退も有、進も在、組組れぬ、互に命も惜まず身も資けず、是を最後と戦て引退。

六番飛騨太郎左衛門景高、五百騎にて懸出たり。信濃国住人、根井小弥太行近、二百五十騎にて押合す。互に追つ返つ、五六度まで戦けるに、景高が勢、三百騎討れて二百騎になる。行近が勢百騎にP712なる。猶退かず戦に、景高が勢百騎になり、行近が勢五十騎に成。猶不(レ)退戦けり。景高が勢十五騎に成、行近が勢七騎に成。源平目を澄してぞ見たりける。尚不(レ)退死生不(レ)知に戦けるが、後には行近景高只二人にぞ成にける。行近十四束を取番ひ、能引て放ける矢に、景高が馬の腹射させて駻落さる。行近馬より飛下て、太刀を抜て打て懸る。景高大音揚て云けるは、骨をば苔の下に埋共、名をば後代に傳ぬべし、人なよせそ、勝負は二人と云ければ、行近子細なきとて切合たり。両人は好處なれば、源平人をば不(レ)寄けり。打と切ばはたと合せ、はたと切れば丁と合す。一時が程戦けるに、景高脛巾金より太刀打折て白砂に落。行近云けるは、爰を切べき事なれ共、互に組で勝負也とて、太刀を捨てぞ組だりける。根井は四十計の男也。景高は二十五也。上に成下になり、弓手へころび、妻手へころぶ。根井(有朋下P132)終に上に成、景高を押へて切られにけり。敵も味方も惜みつゝ、各涙を流しけり。

七番権亮三位中将維盛已下、宗徒の大将一味同心に三萬餘騎馳出たり。木曾亦轡並て押合て、互に指詰々々射るも在、馳合々々切るも在、馬は足を休る時もなく、人は手から助くる隙を失へり。


角て安宅の城にて、暫し支て戦けれ共、平家負軍に成ければ引て落。源氏勝に乗て続て追。長並、一松、成合までぞ責付たる。自先立者こそ助りけれ共、返合る者の遁はなし。成合にて平家返合て暫し戦、両陣乱合て、白旗赤旗相交、天に翻る事夥し。馬〔の〕馳違音、矢叫の声、雲も響地も動らんと覚えたり。蹴立のほこり空に充満て、朝霧の立が如く也。
[24]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 02時26分34秒 ) パスワード
  

巻30

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S3001 真盛被(レ)討付朱買臣錦袴並新豊県翁事
S3002 平氏侍共亡事
S3003 赤山堂布施論事
S3004 太神宮行幸願付広嗣謀叛並玄肪(げんばう)僧正(そうじやう)事
S3005 加茂斉院八幡臨時祭事
S3006 平家延暦寺(えんりやくじ)願書事
S3007 貞能(さだよし)自(二)西国(さいこく)(一)上洛事
S3008 維盛兼言事
S3009 平家兵被(レ)向(二)宇治勢多(一)事
S3010 木曾山門牒状事
S3011 覚明語(二)山門(一)事
S3012 山門僉議(せんぎ)牒状事



S3002 平氏侍共亡事
平家は棟と憑み給へる真盛討れて大に力落、成合を引て篠原宿に著。源氏同押寄たり。平家不(レ)堪して山に入、極楽林、小野寺林、須河林に乱入ければ、源氏続てひら責に攻む。福田、熊坂、江沼辺をも責越て、浜路迄こそ追懸たれ。平家並松と云所にて返合て、暫し支て戦けり。源平互に乱合、両方より射違たる矢は降雨の如也。是にして平家三十(さんじふ)余騎(よき)討れて並松を引。源氏勝に乗て余すな/\と追懸、余に手繁追ければ、平家の大将軍に、参河守知度と云は入道の子也。口惜事哉、御方に思切者共がなければこそ直責には攻られて大勢は討るらめとて、返合て散々(さんざん)に戦給へる程に、筒に矢十二射立られて、討死して失給(たま)ひぬ。連く侍には、飛騨の大夫判官(たいふはんぐわん)景高、是は大臣殿の乳母子(めのとご)にて若の事あらば一所にて手取組んと契深かりしか共、参河守の討れ給(たま)ひける悲さに、散々(さんざん)に戦て、(有朋下P143)是も一所に討れにけり。越中権頭範高、我一人と戦けるが、矢員射尽て、敵に頸骨射させて自害して臥にけり。

越中二郎判官盛綱、洲浜判官高能、上総介忠清(ただきよ)、子息太郎判官忠綱(ただつな)、尾張守貞安、摂津判官盛澄等も、思々に戦て所々に臥にけり。武蔵三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国は、手勢P0721三百(さんびやく)余騎(よき)にて戦けるが、大勢に被(二)取籠(一)て半時ばかり打合程に、有国馬を射させて歩立に成、右には太刀、左には長刀を持て切合ける程に、太刀打折て後は長刀を十文字に持て開き、大勢の中に走入、先馬の足を薙ぐ。主が馬よりはね落さるゝ処を、落しも立てず頸を薙、弓手に走、妻手に走、四廻五廻切廻かとすれば、敵三十(さんじふ)余人(よにん)切伏て、我身も痛手を負ければ、新中納言殿(ちゆうなごんどの)の侍に、武蔵三郎左衛門(さぶらうざゑもんの)尉(じよう)有国と名乗て、腹掻切て失にけり。巣山兵衛高頼も、手の際戦て討れにけり。東国の者には、ましほの四郎と伊藤九郎も、此にして亡ぬ。河に流海に入て死ぬるは不(レ)知、安宅、篠原、並松の間に、竿結渡して、切懸たる首三千七百六十人とぞ注たる。虜には兼康(かねやす)、斉明計也。此斉明は林、富樫と同心に、木曾に腹黒あらじと起請書たりし者が、燧城にて返忠して源氏を背き、忽(たちまち)に冥罰を蒙るとぞ覚えたる。

去四月下向には、平家十万余騎(よき)なりしに、燧、長畝、三条野、並松、塩越、須河山、長並、一松、安宅、松原、宮越、倶梨伽羅、志雄山、竹浜(有朋下P144)所々の合戦に亡つゝ、七万余騎(よき)は失にけり。可(レ)然人々も馬にも乗らず、物具(もののぐ)を捨て、北国の浦伝、仙道の山伝して、今六月の上洛には三万(さんまん)余騎(よき)には過ざりけり。

平家今度は数を尽して被(レ)下けるに、角討れぬるこそ無慙なれ。尽(レ)流漁、多雖(レ)得(レ)魚、明年無(レ)魚、焼(レ)林狩、多雖(レ)得(レ)獣、明年無(レ)獣云本文あり。されば後を存じて、壮健ならん兵をば少々都P0722に可(二)残置(一)ける者をと云人も有けり。内大臣(ないだいじん)も棟と憑れたりし弟の参河守も討れぬ。高橋判官長綱も討れぬ。一所にて如何にもならんと契給(たま)ひし乳母子(めのとご)の大夫判官(たいふはんぐわん)景高も討れぬ。旁大に力落てぞおぼされける。。飛騨守景家(かげいへ)が申けるは、相憑つる子息の景高に別ぬ。今は出家の暇給(たまひ)て、彼が後世を
吊侍ばやと申けるこそ哀なれ。有国、兼康(かねやす)、真盛なんども不(レ)帰、此者共こそ、野末山の奥にても、一人当千(いちにんたうぜん)と憑もしく思召(おぼしめし)けるに、大底亡にければ、内府も心弱ぞ思はれける。凡今度討たる者共、父母兄弟妻子眷属等が泣悲事不(レ)斜(なのめならず)、家々(いへいへ)には門戸を閉、声々に愁歎せり。彼村南村北に哭しける雲南征伐も、角やと被(二)思知(一)(おもひしられ)たり。五日北国賊徒の事、院(ゐんの)御所(ごしよ)にて議定あり。左大臣経宗、右大臣兼実、内大臣(ないだいじん)実定、皇后宮大夫実房、堀川(ほりかはの)大納言(だいなごん)忠親(ただちか)、梅小路中納言長方、此人々を被(レ)召けり。兼実忠親(ただちか)両人は不(二)参給(一)。

右大臣は大蔵卿(おほくらのきやう)泰経を御使にて、只よく/\御祈祷(ごきたう)(有朋下P145)あるべき也、東寺に秘法あり、加様の時に被(レ)行べきにやとぞ被(レ)申たる。左大臣経宗公は、不(レ)叶までも関々を固らるべきかと被(レ)申たり。
[25]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 03時02分41秒 ) パスワード
  

巻31

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S3101 木曾登山付勢多軍事
S3102 鞍馬御幸事
S3103 平家都落事
S3104 維盛惜(二)妻子遺(一)事
S3105 畠山兄弟賜(レ)暇事
S3106 経正参(二)仁和寺宮(にんわじのみや)(一)事
S3107 青山琵琶流泉啄木事
S3108 頼盛(よりもり)落留事
S3109 貞能(さだよし)参(二)小松殿(こまつどの)墓(一)付小松大
臣如法経事



飛騨守景家(かげいへ)も、御伴にとて出立けるが、三歳になる孫に遺を惜つゝ、如何がせんとぞ悲ける。其孫と云P0757は、北国の軍に討れし飛騨太郎判官景高が子也。其妻は夫に後れて深思に沈、此少者をかゝへてのち如何がせんと歎し程に、積思に堪ずして、此世空く成にけり。父にも後れ母にも別て、孤なりけるを、祖父飛騨守景家(かげいへ)が、我懐に拘抱て、常は口説言して、哀果報なき身となれる悲さよ、懸る忘がたみを残置、我さへ物思ふ事の無慙さよとて、鳥の雛を■(あたたむる)が如孚ける程に、平家都を落ければ、景家(かげいへ)も出立けり。東西もしらぬ稚者を、宿定めなき旅の道に具せん事も叶ふまじ、跡に憑もしき者もなければ、誰に預べし共覚えず、思侘てつく/゛\是を案じ出して、冑の袖に懐きつゝ、母の八十有余(いうよ)に成けるに具し行て、此子預け奉る。御為には曾孫也、(有朋下P190)景家(かげいへ)西海の浪に沈み候(さうらふ)共(とも)、生し立て御形見共御覧候へとて、打預けつゝ落行けり。景家(かげいへ)が母老々として、庭に杖つき走出て泣々(なくなく)申けるは、我身縦若く盛なりとも、懸る乱の世中に如何にしてか育べき、況や八十に余て今日明日とも知ぬ命也。行末遥々(はるばる)の少き者を、何とせよとて捨預てはおはするぞ、縦情なく、老たる母をこそ振捨て出給ふ共、恩愛の別の悲さに打副て、歎を重給ふ事こそ心うけれ、如何ならん野末山の奥へも具し行給へとて、嬰児の手を引、鎧の袖に取付て、門を遥(はるか)に出たりけり。弓矢とる身の哀さは、人に弱気を見せじとて、かなぐり棄て出けれども、涙は先にすゝみけり。




貞能(さだよし)後に聞えけるは、西国(さいこく)の軍破て下野国宇都宮へ下向す。彼宇都宮は外戚に付て親しかりければ、尋下て、出家して肥後入道と云て、如法経を書写して、大臣殿の後生を弔奉けり。
貞能(さだよし)都へ返り入ぬと聞ける上、越中次郎兵衛盛嗣、上総七郎兵衛景清、二人大将軍として京へ上り、落留給へP0761る平家の一門並侍共、人手に懸んより、一人も漏さず討捕べきと聞えければ、池殿は色を失ひ騒給(たま)ひ、こは如何にすべき・・・
[26]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 06時22分52秒 ) パスワード
  

巻32

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S3201 落行人々歌付忠度自(レ)淀帰謁(二)俊成(一)事
S3202 刈田丸討(二)恵美大臣(一)事
S3203 円融房御幸事
S3204 義仲(よしなか)行家京入事
S3205 法皇自(二)天台山(一)還御事
S3206 福原管絃講事
S3207 四宮御位事(有朋下P217)
S3208 維高維仁位論事
S3209 阿育王即位事
S3210 義仲(よしなか)行家受領事
S3211 平家著(二)太宰府(一)付北野天神飛梅事
S3212 還俗人即位例事


平家都落ちで忠度が藤原俊成を訪問した話は有名ですが
ここは行盛が藤原定家を訪ねた話を書いて置きます。



左馬頭(さまのかみ)行盛と申は、太政(だいじやう)入道(にふだう)の二男に、左衛門佐安芸判官基盛と云し人の子也。父は保元の乱の後、宇治河(うぢがは)にて水神に取れて失にけり。孤子にておはしけるが、京極中納言定家卿に奉(レ)付、歌道を学給けり。都を落給とて、定家の遺を惜つゝ、巻物一つに消息(せうそく)具して被(レ)送たり。巻物とは日来読集給たりける歌共也。定家卿披き見給ふに、来方行末の事共こまやかに被(レ)書て、端書に、

 流れなば名をのみ残せ行水のあはれ墓なき身は消ゆるとも K161P0766

定家是を見給(たまひ)て感涙を流し給つゝ、勅撰あらば必いれんと被(レ)思けり。薩摩守忠度の歌を、父俊成卿の、よみ人不(レ)知と千載集に被(レ)入たる事を、本意なき事に被(レ)思けり。忠度は朝家の重臣として、雲客(うんかく)の座に連れり。名を埋む事口惜く被(レ)思ければ、如何にも行盛を(有朋下P204)ば名を顕さんとて、朝敵なれば世に恐て、三代を過ざりける。後鳥羽、土御門、佐渡院御宇(ぎよう)を経て、後堀河院御時、新勅撰の有しに、今は苦しかるまじとて、左馬頭(さまのかみ)平行盛と名を顕し、此歌を被(レ)入たり。亡魂如何に嬉しと思ふらんと哀なり。
[27]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 07時00分59秒 ) パスワード
  

巻33

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S3301 太神宮勅使付緒方三郎責(二)平家(一)事
S3302 平家太宰府落並平氏宇佐宮歌付清経入(レ)海事
S3304 平氏著(二)屋島(一)事
S3305 時光辞(二)神器御使(一)事
S3306 頼朝(よりとも)征夷将軍宣付康定関東下向事
S3307 光隆卿向(二)木曾許(一)付木曾院参(ゐんざん)頑事
S3308 源平水島軍事
S3309 木曾備中下向斉明被(レ)討並兼康(かねやす)討(二)倉光(一)事
S3310 兼康(かねやす)板蔵城戦事
S3311 依(二)行家謀叛(一)木曾上洛事
S3312 行家与(二)平氏(一)室山合戦事
S3313 木曾洛中狼藉事



S3308 源平水島軍事
〔去(さる)程(ほど)に、〕平家は讃岐国屋島に在ながら、山陽道を打靡して都へ責上るべしと聞えければ、木曾左馬頭(さまのかみ)義仲(よしなか)是を聞て、信濃国(しなののくにの)住人(ぢゆうにん)矢田判官代(はんぐわんだい)義清、宇野平四郎行広を差遣す。山陽道の者共多く源氏に相従けり。

平家は三百(さんびやく)余艘(よさう)の兵船を調て、屋島の磯に漕出たり。
源氏は備中国水島が途に陣を取て、千余艘(よさう)の兵船を構たり。
源平互に海を隔て支たり。

寿永二年閏十月一日、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。
源氏等(げんじら)計けるは、此島の南の地より、島の北の際まで三町(さんちやう)には過べからず、島の東の海上より寄て、島の北に船を陸まで組合て、軍兵隙を諍て攻寄ば、先陣に進まん者敵の為に打とらると云共、幾ならじ。後より次第に続て、島の上へ責入て城に火を懸ば、敵は舟へのみこそ競のらんずらめ、打物に堪たらん輩続て乗移て打とれ、島を責落しP0807なば、船の寄る所なくしては争か海上(有朋下P257)に日を重ぬべき、浪に引れ風に随つて漂はんを、浦々渚々に追詰々々討とらんと定てけり。平氏は又船をば島の西南に付て、城の東北の木戸口(きどぐち)を開て、名を得たらん人々進出て敵を指招かば、舟を並て責寄べし、偽て引退ば島の上へ襲来らん歟、其時舟を島東北へ指廻して、三方より矢前(やさき)揃て可(二)射取(一)、敵不(レ)堪して引退かば、舟を指並べて乗移、分捕せんとぞ謀りける。

源氏の追手の大将軍は宇野弥平四郎行広、搦手の大将軍は足利矢田判官代(はんぐわんだい)義清也。五千(ごせん)余人(よにん)の兵共(つはものども)、百余艘(よさう)の兵船、纜解て押出し、夜の曙に漕寄て時の声を発す。

平家待儲たる事なれば、声を合て戦ふ。両方の軍兵一万(いちまん)余人(よにん)なれば、時の声海上に響渡て、よせたる波の音も声を合する歟とぞ覚ける。平家は本三位中将重衡、越前三位通盛卿を大将軍として七千(しちせん)余人(よにん)、二百艘の兵船に乗て、島の西南より東北へ二手に指廻す。源氏の兵船、兼てはかりたる事なれば、南の地より島の北まで指並て、当国の住人(ぢゆうにん)を前に立て二千(にせん)余人(よにん)、甲を傾け冑の袖を振合て、一面に立並て責寄。平家は見(レ)是て、城の東北の木戸口(きどぐち)を開く。

能登守教経は、紺の白き糸にて群千鳥を縫たる直垂に、紅威の鎧に、長覆輪太刀をはけり。
越中次郎兵衛盛嗣は、滋目結の直垂に耳坐滋の冑を著たり。
上総五郎兵衛忠清(ただきよ)は、縫摺の直垂に赤威肩白の鎧を著たり。
飛騨三郎兵衛(有朋下P258)景家(かげいへ)は、褐直垂に大衿耳袖を赤地の錦をたち入たるに、黒糸威(くろいとをどしの)鎧を著せり。鎧の毛直垂の色、いづれも取々にはなやかに見えたり。

此外村田兵衛盛房、源八馬允、米田を始として、名を得たる勇士三十(さんじふ)余人(よにん)打出て、P0808敵を招けば、矢田判官代(はんぐわんだい)義清、仁科次郎盛宗、高梨六郎高直、海野平四郎幸広を始として三百(さんびやく)余人(よにん)、木戸口(きどぐち)へ攻寄て戦。平氏偽て引退、源氏勝に乗て攻蒐。爰(ここ)に島の両方の船、南の沖西の島さきより指寄て、敵の舟を打鎰にて掻寄せ、組合て乗移る。精兵をそろへて、城中(じやうちゆう)并に両方の船より散々(さんざん)に射、源氏の船不(レ)堪引退。西風烈く吹て、船共ゆられて打合ければ、東国北国の輩、舟軍は習はぬ事なれば、船に不(二)立得(一)して船底へのみ重り入。平家の輩は、舟軍自在を得たりければ、乱入て散々(さんざん)に切。面を向る者はすくなし。舟耳に近付者をば取て海に入、底にある者をば冑の袖をふまへて頸を掻、城の中よりは勝鼓を打て■(ののし)り懸る程に、天俄(にはか)に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成たれば、源氏の軍兵共日蝕とは不(レ)知、いとゞ東西を失て舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行。平氏の兵共(つはものども)は兼て知にければ、いよ/\時を造り重て攻戦。

矢田判官代(はんぐわんだい)義清は、船にゆられて立得ざりければ、船耳に尻を懸て、甲を脱捨太刀を抜て戦ふ。
越中次郎兵衛盛嗣は是を見て、甲を傾て打て懸を、義清立上(有朋下P259)て甲の鉢をうつ。強く被(レ)打て甲を脱て落にけり。盛嗣目くれて、太刀の打所は覚ざりけれ共打違へたりけるに、義清が右の顔をすぢかへに、押付の板に切付たりければ、うつぶしに伏けるを引仰のけて頸を掻てけり。
海野四郎幸広は、村田兵衛盛房と船耳にて取組て海へ入けるを、飛騨三郎兵衛景家(かげいへ)は勇士の者也ければ、盛房が総角を取て引返して懐合たりけるを、両人ながら船へ抛入てけり。幸広刀を抜て、盛房が起あがらんとするを踏へて、冑の草摺を引上てさす。景家(かげいへ)是を見て、幸広P0809が甲を引仰て首を掻てけり。
能登守教経、精兵の手きゝなりければ一として空矢なし。
高梨次郎高信を始として十三人被(二)射取(一)けり。

源氏の軍敗にければ、討残されたる者共、はしふねに乗移て、飛下々々落行きけるを、平家は舟の中に兼て鞍置馬を用意して、船共の纜切放、渚(なぎさ)に漕寄、舟腹を乗傾て馬共おろし、ひたとのり、能登守一陣に進で攻蒐ければ、討るゝ者は多く助かる者は少なし。

或備前国へ落もあり、或は都へ上もあり。海へ入て死する者は其数を不(レ)知。
船にて被(二)討捕(一)源氏には、矢田、高梨、海野を始として、千二百人(せんにひやくにん)が頸切懸たり。




S3312 行家与(二)平氏(一)室山合戦事
十郎蔵人是を聞て、千騎(せんぎ)の勢にて指違て、丹波路より播磨国へ下る。
平家は折節(をりふし)播磨の(有朋下P267)室に著給たりけるが、此事を聞て、門脇(かどわきの)新中納言父子、本三位中将重衡、一万(いちまん)余騎(よき)にて室山坂に陣を取て、十郎蔵人を相待けり。討手を五に分たり。一陣飛騨三郎左衛門(さぶらうざゑもんの)尉(じよう)景経五百(ごひやく)余騎(よき)、二陣越中次郎兵衛盛嗣、五百(ごひやく)余騎(よき)、三陣上総五郎兵衛忠清(ただきよ)五百(ごひやく)余騎(よき)、四陣伊賀平内左衛門尉(へいないざゑもんのじよう)家長五百(ごひやく)余騎(よき)、五陣門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)P0815八千(はつせん)余騎(よき)にて引へたり。

十郎蔵人是をば不(レ)知、室山を打程に、飛騨三郎左衛門(さぶらうざゑもんの)尉(じよう)進出て、散々(さんざん)に暫戦て、景経の弓手の小黒の中へ引退く。

源氏爰を蒐通て二陣に付。
越中次郎兵衛道を切て防けれ共、戦兼て盛嗣妻手の林へ引籠る。
源氏此を打破て三陣に付。
上総五郎兵衛出塞つて戦けれ共、忠清(ただきよ)負色に成て北の麓へ被(二)追下(一)。

源氏爰を破て四陣に付。
伊賀平内左衛門尉(へいないざゑもんのじよう)待受て戦けるが、家長も不(レ)叶して南の谷へ追落さる。
源氏四陣を破て五陣に付。
門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)八千(はつせん)余騎(よき)にて引へ給へり。
大勢支塞て戦ける中に、中納言の侍に、紀七、紀八、紀九郎とて、兄弟三人ありけるが、劣らぬ剛者精兵の手きゝ也けるが、死生不(レ)知に進出て、矢尻を揃て指詰引取散々(さんざん)に射ければ、面を向べき様なくして、十郎蔵人取て返して落ければ、五陣大勢時を造懸て責付たり。

是を聞て四陣三陣二陣一陣、道を塞ぎ時を合て待処に、源氏四陣を破らんとす。是も矢尻をそろへて射ければ、十郎蔵人は敵にはかられにけりと心得(こころえ)て、其(有朋下P268)時は射にも及ばず切にも不(レ)能、しころを傾け冑の袖を真甲にあてて、弓を脇に挟み、太刀を肩に懸て、通れ者共よ若党とて、四陣を走せ抜て見たりければ、千騎(せんぎ)の勢三百騎は討れて七百騎になる。

此勢にて三陣につく。是も散々(さんざん)に戦けれ共、思切て打破て通にけり。三百騎討れて四百騎(しひやくき)になる、此勢にて二陣につく。是も打破て出て見れば百騎成。此勢にて一陣に付て、今を限と死生不(レ)知に戦て、係散して出たれば、僅(わづか)に七八十騎(じつき)には過ざりけり。

能登守教経、伊賀平内左衛門(へいないざゑもん)家長、田太左衛門生職、駿河兵衛光成、飛騨三郎左衛門(さぶらうざゑもんの)尉(じよう)景経を始として五百(ごひやく)余騎(よき)、南山の麓より、P0816馬鼻を並て北へ向て蒐、陣の内より豊後右衛門頼弘、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠清(ただきよ)、矢野右馬允家村、同七郎兵衛高村を始として三百(さんびやく)余騎(よき)、東へ向て源氏を中に挟て蒐。

源氏平家両陣乱合て、或弓手に懸並べて討捕もあり。或妻手に相合て討落もあり。四方に馳乱れて懸合懸組、馬足音矢叫の声、山を響し地を響す。源氏も平氏も何隙あり共見えざりけり。爰(ここ)に美作(みまさかの)国(くにの)住人(ぢゆうにん)恵比入道守信、播磨国住人(ぢゆうにん)佐用党利季兼知を始として七百(しちひやく)余騎(よき)、西の山の鼻より時を造つて懸ければ、源氏三方より被(二)押囲(一)て、軍忽(たちまち)に破て東を指て落行けり。平家勝に乗て敵を懸背て、おもの射にぞ射取ける。備前守行家は、赤地錦の直垂に黒糸威(くろいとをどし)の鎧を著(有朋下P269)て、さび鴾毛の馬に乗、山田次郎重弘、三遠雁の直垂に紫威の鎧著て、黒馬にぞ乗たりける。三十(さんじふ)余騎(よき)を相具して、東の原を北へ向て引退く。

景経、忠清(ただきよ)、盛嗣、家村等鞭を打轡を並て追攻めければ、伊賀国の住人(ぢゆうにん)つげの十郎有重、美濃国住人(ぢゆうにん)をりとの六郎重行を始として十一騎(じふいつき)、おり禦て戦ふ。有重は盛嗣に馳合て押ならべて組ければ、盛嗣立上りて、左の手にて有重が甲を引落し、髻を取て鞍の前輪に引付て頸を掻、太刀の切錚に貫て、馬を引へて歩ませ行。誠にゆゝしくぞ見えける。重行は景家(かげいへ)に組れて首とられにけり。
此間に行家重弘は遁得て、和泉国へぞ越にける。つげの十郎有重、をりとの六郎重行を始として、百八十人頸切懸たり。懸ければ、備前、播磨両国の勇士等、皆平家に随付にけり。
[28]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 10時31分43秒 ) パスワード
  

巻34

http://www.j-text.com/seisui/gs34.html

S3401 木曾可(二)追討(一)由付木曾怠状挙(二)山門(一)事
S3402 法住寺(ほふぢゆうじ)城郭(じやうくわく)合戦事
S3403 明雲(めいうん)八条宮人々被(レ)討付信西相(二)明雲(めいうん)(一)事
S3404 法皇御歎並木曾縦逸付四十九人止(二)官職(一)事
S3405 公朝時成関東下向付知康芸能事
S3406 範頼義経上洛付頼朝(よりとも)遣(二)山門牒状(一)事
S3407 木曾擬(レ)与(二)平家(一)並維盛歎事
S3408 木曾内裏守護付光武誅(二)王莽(わうまう)(一)事
S3409 京屋島朝拝無(レ)之付義仲(よしなか)将軍宣事
S3410 東国兵馬汰並佐々木賜(二)生■(いけずきを)(一)付象王太子事
[29]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 12時24分56秒 ) パスワード
  

巻35

http://www.j-text.com/seisui/gs35.html

S3501 範頼義経京入事
S3502 高綱渡(二)宇治河(うぢがは)(一)事
S3503 木曾惜(二)貴女遣(一)事
S3504 義経院参(ゐんざん)事
S3505 東使戦(二)木曾(一)事
S3506 巴関東下向事
S3507 粟津合戦事
S3508 木曾頸被(レ)渡事
S3509 兼光被(レ)誅並沛公(はいこう)入(二)咸陽宮(一)事
[30]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 12時50分37秒 ) パスワード
  

巻36

http://www.j-text.com/seisui/gs36.html

S3601 一谷(いちのたに)城構事
S3602 能登守所々高名事
S3603 福原除目付将門(まさかど)称(二)平親王(一)事
S3604 維盛住吉(すみよし)詣並明神垂跡(すいしやく)事
S3605 忠度見(二)名所々々(一)付難波浦賤夫婦事
S3606 維盛北方歎並梶井宮遣(二)全真歌(一)事
S3607 福原忌日事
S3608 源氏勢汰事
S3609 義経向(二)三草山(一)事
S3610 平氏嫌(二)手向(一)付通盛請(二)小宰相局(一)事
S3611 清草射(レ)鹿並義経赴(二)鵯越(一)事
S3612 鷲尾一谷(いちのたに)案内者事
S3613 熊谷向(二)大手(一)事
[31]川口 信さんからのコメント(2002年10月13日 13時01分29秒 ) パスワード
  

大変お疲れさまでした。服部明子さまのご努力や勤勉さには頭の下がる思いです。こうして頂ければ平熱やその他多くの皆さんの勉強や検索に大変に助かると思われ、紹介したものとして心より感謝申し上げます。本当に有難うございました。
[32]川口 信さんからのコメント(2002年10月13日 13時26分11秒 ) パスワード
  

36巻で終わりかと思っていましたので、まだ続きがアップされていますね。引き続き服部明子さまにおんぶにだっこで宜しくお願い申し上げます。お陰さまで毎回アップされた巻を読んでいます。感謝感謝でいっぱいです。
[33]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 13時37分10秒 ) パスワード
  

川口さま
36で終わりかといたずらしてましたら38巻までございました。
もうあと一息ですね。



巻37

http://www.j-text.com/seisui/gs37.html

S3701 熊谷父子寄(二)城戸口(一)並平山同所来付成田来事
S3702 平家開(二)城戸口(一)並源平侍合戦事
S3703 景高景時入(レ)城並景時秀句事
S3704 義経落(二)鵯越(一)並畠山荷(レ)馬付馬因縁事
S3705 則綱討(二)盛俊(一)事
S3706 一谷(いちのたに)落城並重衡卿(しげひらのきやう)虜事
S3707 忠度通盛等最後事



陣に帰て是は誰人の頸ならん、名乗と云つれ共しか/゛\とて名乗ざりつれば、何なる人共見しらざりけるに、巻物を披見れば、歌共多く有ける中に、
旅宿花と云題にて一首あり。

  行暮て木下陰を宿とせば花や今夜のあるじならまし

忠度と書れたりけるにこそ薩摩守とは知りたりけれ。
此人は入道の弟公達の中には、心も剛に身も健に御座(おはしまし)けれども、運の極に成ぬれば、六弥太にも討れにけり。勧賞の時は、六弥太神妙(しんべう)なりとて、P0934薩摩守の知行の庄園五箇所を給(たまひ)て、勲功に誇けり。
[34]服部 明子さんからのコメント(2002年10月13日 13時52分52秒 ) パスワード
  

巻38

http://www.j-text.com/seisui/gs38.html

S3801 知盛遁(二)戦場(一)乗(レ)船事
S3802 平家公達最後並頸共掛(二)一谷(いちのたに)(一)事
S3803 熊谷送(二)敦盛頸(一)並返状事
S3804 小宰相局付慎夫人事
S3805 平家首掛(二)獄門(一)付維盛北方被(レ)見(レ)頸事
S3806 重衡京入並定長(さだなが)問答事
S3807 重国花方帯(二)院宣(一)西国(さいこく)下向同上洛奉(二)返状(一)事
[35]takahiroさんからのコメント(2002年10月13日 23時41分29秒 ) パスワード
  

服部明子様

 誠にお疲れ様でした。そしてありがとうございます。
 当スレッドには、今後度々、資料探索の際にお世話になると思います。
 誠にありがとうございました。
[36]川口 信さんからのコメント(2002年10月18日 14時46分11秒 ) パスワード
  

 巻39

  http://www.j-text.com/seisui/gs39.html

S3901 友時参(二)重衡許(一)付重衡迎(二)内裏女房(一)事
S3902 重衡請(二)法然房(一)事
S3903 重衡関東下向付長光寺事
S3904 頼朝(よりとも)重衡対面事
S3905 重衡酒宴付千寿伊王事
S3906 維盛出(二)屋島(一)参(二)詣高野(一)付粉川寺謁(二)法      然房(一)事
S3907 時頼横笛事
[37]服部 明子さんからのコメント(2002年10月18日 16時08分07秒 ) パスワード
  

ありがとうございました。
行ってみますね。
[38]川口 信さんからのコメント(2002年10月24日 14時30分33秒 ) パスワード
  

巻40

http://www.j-text.com/seisui/gs40.html


S4001 法輪寺附中将相(二)見滝口(一)並高野山事
S4002 観賢拝(二)弘法大師之影像(一)付弘法入唐事
S4003 維盛出家事
S4004 唐皮小烏抜丸事
S4005 維盛入道熊野詣附熊野大峰事
S4006 中将入道入(レ)水事
[39]服部 明子さんからのコメント(2002年10月24日 23時29分25秒 ) パスワード
  

ありがとうございました。
こちらに「抑唐皮と云鎧、小烏と云太刀」は小松家に伝わった、とありますね。
池殿に伝わったのは抜丸だ、と。


抑唐皮と云鎧、小烏と云太刀は、当家代々の重宝として、我まで嫡嫡に相伝はれり、肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)が許に預置けり、其をば取て三位中将(さんみのちゆうじやう)に奉れ、もし不思議にて世も立なほらば、後には必六代に譲り給へと可(レ)申とて、雨々とぞ泣給ふ。

S4004 唐皮小烏抜丸事
彼唐皮と云は非(二)凡夫之製(一)、仏の作り給へる鎧也。

なんて書かれてますね。
[40]川口 信さんからのコメント(2002年11月04日 13時00分13秒 ) パスワード
  

巻41

  http://www.j-text.com/sheet/seisui41.html   

S4101 頼朝(よりとも)叙(二)正四位下(しやうしゐのげ)(一)附崇徳院遷宮事
S4102 忠頼被(レ)討付頼盛(よりもり)関東下向事
S4103 義経関東下向附親能搦(二)義広(一)並除目事(有朋下P538)
S4104 三日平氏付維盛旧室歎(二)夫別(一)並平氏歎事
S4105 新帝御即位付義経蒙(二)使宣(一)並伊勢滝野軍事
S4106 屋島八月十五夜附範頼西海道下向事
S4107  盛綱渡(二)藤戸(一)児島合戦附海佐介渡(レ)海事
S4108 義経拝賀御禊(ごけい)供奉附実平自(二)西海(一)飛脚事
S4109 被(レ)行(二)大嘗会(だいじやうゑ)(一)付頼朝(よりとも)条々奏聞事
S4110 義経院参(ゐんざん)西国(さいこく)発向附三社諸寺祈祷事
S4111 平家人々歎附梶原逆櫓事

 同五月十五日、前大納言(だいなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)上洛し給へり。関東にて被(二)賞翫(一)給ける事、心も詞も及がたし。此人鎌倉へ下り給(たま)ひける事は、平家都を落給しに、共に打具して下給ふ程に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)兼ての状を憑て、道より返給へり。彼状には難(レ)遁命を寛して生られ奉りし事、偏(ひとへ)に池尼御前の芳恩に侍り、其御志生生に忘(有朋下P535)難、頼朝(よりとも)世に経廻せば、御方に奉公仕て、彼御恩に可(レ)奉(レ)報、此条■飾(けうはう)の作言に非、且は二所八幡の御知見を仰ぐと、度々被(二)申上(一)たりければ、深其状を憑て落残給たれ共、頼朝(よりとも)こそ角は思共、木曾冠者(きそのくわんじや)十郎蔵人、我に情を置べきに非、如何成行んずらん、波にも著ず、磯にも著ぬ風情して、肝心を砕て過給ける程に、行家は木曾に恐て都の外に落ぬ、義仲(よしなか)は九郎冠者に討れければ、聊安堵し給へるに、兵衛佐(ひやうゑのすけ)より重て状を上せ給へり。企(二)上洛(一)可(二)参申(一)之処、其状当時難治に侍り、急御下向あらば畏存ずべし、且故尼御前を見奉と思侍べし、宗清左衛門尉(さゑもんのじよう)、同可(レ)被(二)召具(一)と被(レ)申たりけるに依て下向給(たま)ひけり。弥平左衛門尉(やへいざゑもんのじよう)宗清と云は、本は平家の一門なりけり。当時侍振舞にて、
P1018
池殿には相伝専一の者也。頼朝(よりとも)の命に任て可(二)召具(一)由被(レ)仰けるに、宗清辞申けり。大納言(だいなごん)如何にと問給へば、君は角て御渡あれ共、御一門の公達西海に漂て、安き御心なし、思遣奉に心憂く覚えて、安堵の心侍らず、今度の御伴をば暇給(たまひ)て、追て可(二)下向仕(一)と申也。大納言(だいなごん)苦々しく恥思給(たまひ)て、一門を引別て落留る事、我身ながらもいみじとは存ね共、妻子もあれば世も難(レ)捨て、甲斐なき命も惜ければ憖(なまじひ)に留りき、此上は留るべきに非ず、下らんと思也、大小事汝にこそ被(二)仰合(一)しか、落留し事不(レ)受思はば、其時などや所存を申さざりけるぞと(有朋下P536)宣へば、宗清、人の身に命に過て惜き物やは候べき、身あれば又世は捨られぬ事なれば、御とまりを悪しとには非ず、兵衛佐(ひやうゑのすけ)も命を被(レ)生進せてこそ懸幸にも合給へ、平治之時預置時、情ある体にて相当りし事、又故尼御前仰にて、近江国篠原宿まで送奉し事、忘ぬと承れば、御伴申て下たらば、定て所領引出物なんど給はんずらん、其に付ても西海に御座(おはしま)す公達侍共の待聞ん事恥しく侍れば、今度は暫罷留るべし、君は落留御座上は、御下向なからんも中々様がましかるべし、兵衛佐(ひやうゑのすけ)尋申されば、折節(をりふし)労る事ありと申度こそ侍れとて下らざりければ、聞人げにもと感じ申けり。大納言(だいなごん)鎌倉に下著し給たりければ、兵衛佐(ひやうゑのすけ)急見参し給けるに、先宗清左衛門尉(さゑもんのじよう)は御伴歟と被(二)尋申(一)労事有て下向なしと宣(のたまひ)ければ、世にも本意なげにて、頼朝(よりとも)召人にて宗清がもとに預置れたりしに、事にふれて情深あたり申しかば、難(レ)忘恋しくも覚えて、必可(レ)被(二)召具(一)由兼て申上せて侍れば、御伴には定めて下り候らんと相存知て候へば、返々
P1019
遺恨に候き。平家都を落ぬ、今更頼朝(よりとも)に面を合ん事よ、など云意趣も残侍にやとまで宣て、誠に本意なしと思へる気色也。宗清が料とて、所領の宛文まで成儲、馬鞍絹染物等、様々の引出物用意あり。其上大名三十人に仰て、一人別の結構(けつこう)には、鞍置馬裸馬各一匹、長櫃一合、其中には宿物一領、小袖(有朋下P537)十領、直垂五具、絹十匹入べし、此外不(レ)可(レ)過(レ)分と被(二)下知(一)ければ、三十人面々(めんめん)に我おとらじと、馬は六鈴沛艾を撰び、鞍は金銀を鏤たりけれ共、下らざりければ、是も面々(めんめん)に本意なき事にぞ思ひ申ける。大納言殿(だいなごんどの)をば、暫鎌倉にも御座(おはしま)し候へかしと宣(のたま)ひけれ共、京都にも■(おぼつかな)く思ふらんとて、急被(二)上洛(一)ければ、大納言殿(だいなごんどの)に可(レ)奉(二)成返(一)之由被(レ)申内奏ける上、本の知行庄園は一所も無(二)相違(一)、其外所領八箇所下文等書副て奉。鞍置馬二十匹、裸馬廿匹、長持二十合、中には衣染物砂金鷲羽など被(レ)入たり。其値十万余貫に及べりと云。兵衛佐(ひやうゑのすけ)加様にもてなし給ければ、大名小名我も/\と引出物を奉。宗清が料の用意も皆此殿にぞ奉りける。去ば上り給けるには、馬も三百匹に余けり。命を生給へるだにも難(レ)有、剰徳付所知得給へりと披露有ければ、人の口様々也。或は家の疵を顧ず、一門を引分て、永く名望を失て、今に存命を全する事不(レ)可(レ)然と謗る者もあり。又池尼公、頼朝(よりとも)を宥生ずば、頼盛(よりもり)争か虎口を遁て鳳城に還らん、積善の家には必有(二)余慶(一)と云、誠なるかなと、羨嘆る者もあり。其口何れも理也。




[41]takahiroさんからのコメント(2002年11月04日 14時34分29秒 ) パスワード
  

上記の記載、非常に興味深くよみました。特に、

命を生給へるだにも難(レ)有、剰徳付所知得給へりと披露有ければ、人の口様々也。或は家の疵を顧ず、一門を引分て、永く名望を失て、今に存命を全する事不(レ)可(レ)然と謗る者もあり。又池尼公、頼朝(よりとも)を宥生ずば、頼盛(よりもり)争か虎口を遁て鳳城に還らん、積善の家には必有(二)余慶(一)と云、誠なるかなと、羨嘆る者もあり。其口何れも理也。

の下りを非常に興味深くよみました。

一門とともに散らなかった頼盛一族は、巷間囁かれる『人の口様々也』を、
どのように聞いていたのでしょうか。


[42]服部 明子さんからのコメント(2002年11月08日 05時21分40秒 ) パスワード
  

川口さま

お世話になっています。
私のマシンはURLの部分が行方不明になってて
私から次の章に行くのが困難になっています。

でも順次タイトルの方は変更して行きますので
これからもよろしくご紹介下さいませ。
[43]川口 信さんからのコメント(2002年11月08日 14時52分47秒 ) パスワード
  

 巻42

  http://www.j-text.com/sheet/seisui42.html

S4201 義経解(レ)纜四国渡附資盛清経頸可(レ)上(二)京都(一)由事
S4202 勝浦合戦附勝磨並親家屋島尋承事
S4203 金仙寺観音講附六条北政所(きたのまんどころ)使逢(二)義経(一)事
S4204 屋島合戦付玉虫立(レ)扇与一射(レ)扇事
S4205 源平侍共軍附継信盛政孝養事



[44]服部 明子さんからのコメント(2002年11月08日 16時39分20秒 ) パスワード
  

ありがとうございました。

扇の的:
この華々しい弓のお話の蔭にこんな悲しいお話がございました。


平家侍に、伊賀平内左衛門尉(へいないざゑもんのじよう)が弟に、
十郎兵衛尉家員と云者あり。←←←50代の老人だったとか

余りの面白さにや、不(二)感堪(一)して、
黒糸威(くろいとをどし)の冑に甲をば著ず、
引立烏帽子(ひきたてえぼし)に長刀を以、扇の散たる所にて水車を廻し、
一時舞てぞ立たりける。

源氏是を見て種々(しゆじゆ)の評定あり。
是をば射べきか射まじきかと。射よと云人もあり。ないそと云者もあり。
是程(これほど)に感ずる者をば、如何無(レ)情可(レ)射、
扇をだにも射る程の弓の上手なれば、増て人をば可(レ)弛とはよも思はじなれば、
な射そと云人も多し。
扇をば射たれ共武者をばえいず、されば狐矢にこそあれといはんも本意なければ、
只射よと云者も多し。

思々の心なれば、口々にとゞめきけるを、情は一旦の事ぞ、
今一人も敵を取たらんは大切也とて、終に射べきにぞ定めにける。
与一は扇射すまして、気色して陸へ上けるを、射べきに定めければ、
又手綱引返て海に打入、今度は征矢を抜出し、九段計を隔つゝ、
能引固て兵と放。

十郎兵衛家員が頸の骨をいさせて、真逆に海中へぞ入にける。
船の中には音もせず、射よと云ける者は、あ射たり/\と云、
ないそと云ける人は、情なしと云けれ共、
一時が内に二度の高名ゆゝしかりければ、
判官大に感じて、白■馬(さめむま)に、〈 尾花毛馬也 〉黒鞍置て与一に
賜。

弓矢取身の面目を、屋島の浦(有朋下P584)に極たり。
近き代の人、
  扇をば海のみくづとなすの殿弓の上手は与一とぞきく K222 
[45]川口 信さんからのコメント(2002年11月18日 10時46分38秒 ) パスワード
  

巻43

 http://www.j-text.com/seisui/gs43.html

S4301 湛増同意源氏附平家志度道場詣並成直降人事
S4302 住吉鏑並神功責新羅附住吉諏訪並諸神一階事
S4303 源平侍遠矢附成良返忠事
S4304 知盛船掃除附占海鹿並宗盛取替子事
S4305 二位禅尼入海並平家亡虜人々附京都注進事
S4306 安徳帝不吉瑞並義経上洛事
S4307 神鏡神璽還幸事



[46]服部 明子さんからのコメント(2002年11月18日 11時19分23秒 ) パスワード
  

とうとう滅亡してしまいましたね。

景家、壇の浦死亡説
見当たりませんでした。
残念
[47]川口 信さんからのコメント(2002年11月23日 16時02分43秒 ) パスワード
  

 巻44

  http://www.j-text.com/seisui/gs44.html

S4401 神鏡神璽都入並三種宝剣事
S4402 老松若松尋剣事(有朋下P634)
S4403 平家虜都入附癩人法師口説言並戒賢論師事
S4404 大臣殿舎人附女院移吉田並頼朝叙二位事
S4405 宮人曲内侍所効験事
S4406 時忠卿罪科附時忠聟義経事
S4407 頼朝義経中悪附屋島内府子副将亡事
S4408 女院出家附忠清入道被切事(有朋下P655)
[48]今井四郎さんからのコメント(2002年11月26日 23時22分25秒 ) パスワード
  

源平盛衰記を入力して公開しています平家物語協会の会長です。
以後1週間に1巻づつ公開し父の命日の12月16日に完成の予定です。

平家物語協会 本部 富山県高岡市
[49]服部 明子さんからのコメント(2002年11月27日 00時00分21秒 ) パスワード
  

今井さま

12月16日完成予定ですか。
楽しみにしております。
[50]川口 信さんからのコメント(2002年12月01日 15時49分50秒 ) パスワード
  

巻45

 http://www.j-text.com/seisui/gs45.html

S4501 内大臣関東下向附池田宿游君事
S4502 女院御徒然附大臣頼朝問答事(有朋下P667)
S4503 虜人々流罪附伊勢勅使改元有否事
S4504 内大臣京上被斬附重衡向南都被切並大地震事
S4505 源氏等受領附義経任伊予守事


 S4502 女院御徒然附大臣頼朝(よりとも)問答事(有朋下P667)

 建礼門院(けんれいもんゐん)は、吉田辺に歎明し泣暮させ給(たま)ひけるに、内大臣(ないだいじん)父子判官に相具して、鎌倉へ下向の道にて可(レ)奉(レ)失と申者ありければ、今更なる様に思召(おぼしめさ)れて、御心迷して、げにもさこそはと思召(おぼしめし)、哀人々の失し所にて兎(と)も角(かく)も成たらば、憂事をば見聞事あらじと被(二)思召(一)(おぼしめされ)けり。世の聞えを恐て言問者もなし。
P1115
判官は情有し人にて、女院の御事不(レ)斜(なのめならず)心苦き事に思進せて、様々の御衣を調へ、女房達(にようばうたち)の装束までも被(レ)進けり。是を御覧ずるにも只夢とのみ思召(おぼしめし)ける。壇浦にて夷共が取たりける物の中にも、御具足と覚しきをば、尋出して進せけり。其中に、先帝の御手馴させ給ける御具足共あり。御手習の反古の御手箱の底にあり。御覧じ出て御顔に押当、忍あへ給はず、さめ/゛\と泣給けるぞ悲き。恩愛の道は何も疎ならね共、内裏に御座(おはしまし)て、時々雲井の徐に奉(レ)見御事ならば、加程はなからまし、此三年が程一御船の中に、朝夕奉(二)手馴(一)給ければ、無(レ)類思召(おぼしめし)、御年の程よりも長しく、御形御心ばへ勝てまし/\し者をと語出しては、御袖を被(レ)絞けり。



[51]服部 明子さんからのコメント(2002年12月01日 17時12分43秒 ) パスワード
  

川口さま

45巻のアップをありがとうございました。

重衡夫人の嘆き
圧巻です。

こういうのが平家の人物像を鮮やかにして人の心を打つのでしょうね。
日頃は御簾の内にて姿も見せないやんごとなき家格の姫君が
明日をも知れない夫の命を惜しんで
人目もはばからず泣き叫んで後を追う。

建礼門院の場合はなおさら。


平家に関わりの無い世間の者にとってもやりきれない思い。
[52]川口 信さんからのコメント(2002年12月10日 08時23分42秒 ) パスワード
  

 巻46

 http://www.j-text.com/seisui/gs46.html

S4601 南都御幸大仏開眼附時忠流罪忠快免事
S4602 女院入寂光院事
S4603 頼朝義経中違事
S4604 土佐房上洛事
S4605 高直被斬並義経申庁下文附義経惜女遣事
S4606 義経行家出都並義経始終有様事(有朋下P713)
S4607 時政実平上洛附吉田経房卿御廉直事
S4608 尋害平家小児附闕官恩賞人々事

S4601より
同九月二十三日、前平大納言時忠卿は、追立使信盛承て、能登国鈴御崎へ遣す。子息讃岐中将時実は、公朝が沙汰として周防国へ下す。平家僧俗の虜共、去五月に、配所を国々に被定ける内なり。父子後を合せ、西北境を隔つゝ、波路に流、雪中に赴けるこそ哀なれ。時忠卿建礼門院へ被申けるは、今は有甲斐無身に侍れ(有朋下P694)共、近く候て御鍾事をも承度侍るに、責ての罪重くして、今日都を罷出て、越路の旅に趣侍り、身の有様心中、只推量せ給べし、又いかなる御有様にてか御座さんずらんと奉思置こそ行空も覚え侍らね、参りて今一度奉見度侍れども、心に任ぬ身不及力など、細か
P1137
に被申たり。女院聞召て、此人ばかりこそ昔の遺とて御座つるに、さては遠国へ赴き給らんこそ悲けれ、逢見る事はなく共、都の中にありと聞召ば、憑敷こそ思召つるに、死ても別生ても別なん事こそと、いとゞ掻くらす御心地成ければ、坐に御涙ぞすゝみける。彼時忠と申は、出羽前司知信が孫、兵部権大輔時信息男也。故建春門院の御■にて御座しかば、高倉上皇には御外戚也。

S4602より

 同二十八日、建礼門院、大原の奥に寂光院と云ふ所へ入せ給けり。都近しては心憂事のみ聞召ば、片山陰の柴庵なりとも、御心閑にと日比思召けるに、ある女房のゆかりにて角と申ければ、嬉き事にこそとて思立せ給けり。冷泉大納言隆房の北方は御妹にておはしければ、御輿などは被進けり。大方も西海より御上の後は、様々に被訪申けり。此人の憐にて、角有べしとは兼ても不思者をとて、難有さも嬉さも、人わるきまでにおぼし知られけるに付ても、御涙をぞ流させ給ける。いと人も不通谷道を、遥々と分入せ給へば、山陰なればにや日も既に暮なんとす。道芝深く茂りつゝ、分入御袖も露滋して、思召残す事一もなし。西山の麓北谷奥に寂光院と云堂あり。

 戦後処理ばかりで悲しいですね。



[53]川口 信さんからのコメント(2002年12月13日 17時23分51秒 ) パスワード
  

 巻47

 http://www.j-text.com/seisui/gs47.html

S4701 北条上洛尋平孫附髑髏尼御前事
S4702 六代御前事
S4703 文覚関東下向事
S4704 六代蒙免上洛附長谷観音並稽文仏師事


[54]川口 信さんからのコメント(2002年12月20日 13時00分48秒 ) パスワード
  

 巻48

  http://www.j-text.com/seisui/gs48.html  
 
S4801 女院吉田御住居同御出家事
S4802 大臣父子自鎌倉上洛附女院寂光院入御事
S4803 法皇大原入御事
S4804 女院六道廻物語事

 S4803 法皇大原入御事より

 後白川【*後白河】法皇、女院の幽なる御有様を聞召て、御心苦く思召ければ、一御所にも住せ給はばやと思召けれ共、其比九条殿摂政にて御座、近衛殿御籠居也。いつしか引替たる代に成て、都の人心様々也。又十郎蔵人行家、九郎大夫判官義経等、都を出たりと(有朋下P766)いへ共生死未定、人の口もつゝましく、鎌倉源二位の漏聞ん事憚ありと思召て、過させ給ふ程に、秋も暮冬も過て、あらたまの年立回り、文治二年にも成ぬ。二月上旬の比、大原山の奥へ御幸ならばやと思召けれ共、余寒猶烈くして、去年の白雪消遣ず、谷のつららも打解ねば、思召とゞまらせ給に、春も過夏にも成にけり。北祭など打過て、卯月の末の三日思召立せ給ふ。大原の御幸とは、世の聞えを憚せ給つゝ、補陀落寺の御幸と披露有て、あじろの輿に奉り、夜を籠て忍て寂光院へ御幸あり。御伴の公卿には、後徳大寺左大将実定、花山院大納言兼雅、按察使
P1189
大納言泰通、冷泉大納言隆房、侍従大納言成通、桂大納言雅頼、堀川中納言通亮、花園中納言公氏、梅小路三位中将盛方、唐橋三位綱屋、源三位資親、殿上人には柳原左馬頭重雅、吉田右大弁親季、伏見左大弁重弘、右兵衛佐時景、北面には高倉左衛門尉、石川判官、河内守長実を始として、已上十八人とぞ聞えし。

 平家物語協会・会長今井四郎様並びに荒山慶一様、長い間「源平盛衰記」のJ-TEX化ご苦労様でした。利用させて頂き、大変に勉強になりました。長年読んで見たいと思っておりました本なのでJ-TEXT化で手軽に読めるようになり、歴史愛好者にとっては手放せない電子図書になると思います。感謝申上げます。完結を期に再度厚く御礼申上げます。
 ありがとうございました。
[55]服部 明子さんからのコメント(2002年12月20日 13時28分15秒 ) パスワード
  

今井四郎さま

全48巻
完成おめでとうございます。

またなかなか手に入らない作品ですので
ネットで拝見出来ましてとても感謝しております。

お父さまの御霊前に完成を御報告なさってやっと安堵なさいました事でしょう。
お慶び申し上げます。

最近大変寒くなっております。
そちらは深い雪でございましょうか?
どうぞお身体をお愛い下さいませ。


本当にありがとうございました。
[58]空の青海のあをさんからのコメント(2019年07月25日 01時41分09秒 ) パスワード

せっかくアップして頂いたのに、中国で荒らしに遭って、書き換えられているようです。


http://gichumania.o.oo7.jp/Yorinuki02.html#anchor021

よりぬき木曽殿・源平盛衰記


これ、面白かったです。
読み易くなってるし。
[59]空の青海のあをさんからのコメント(2019年07月26日 15時45分37秒 ) パスワード

http://gichumania.o.oo7.jp/Names/names_ks01.html
コピペです。
管理人さん、感謝です。


木曽軍武将

◆河内源氏
源義仲|源行家|源義広|源義重

◆信濃国中原氏
(+木曽)
中原兼遠|樋口兼光|今井兼平|落合兼行|巴
藤太兼助|与次・与三|木曽中太・弥中太|検非違所八郎|東十郎禅師|金剛禅師

◆信濃国滋野党
根井行親|楯親忠|矢島行忠|
海野行広|海野幸氏|望月国親|望月重義|望月重隆
根津信貞|根津貞行|小室光兼|小室真光|大室太郎

◆信濃国諏訪神党
茅野光広|藤沢親貞|藤沢清親|金刺盛澄|手塚別当|手塚光盛

◆信濃国その他
井上光盛|村山義直|栗田範覚|仁科盛弘|仁科盛家|高梨高直|高梨高信
片桐為安|長瀬重綱|村上信国|成合|小林次郎
岡田親義|岡田重義・久義
円子秀資|櫻井行晴|塩田高光|石突次郎|平原景能|依田実信

◆越前国
疋田俊平|疋田俊弘|稲津実澄|斎明|斎藤太|大見光能|本庄|樋口

◆越中国
石黒光弘|高楯光延|泉光興|水巻安高・安経|福満光久
宮崎長康|入善行重|南保家隆|向田村高|中村忠直|福田範高|吉田四郎|賀茂島七郎|千国真高|野尻太郎|河上太郎|蟹谷二郎

◆越後国
越後能景|越後家光

◆加賀国
林光明|今城寺光平|倉光成澄|倉光成氏|富樫入道|冨樫家経|安江盛高|新三郎家員|下田
井家範方|太田兼定|入江親定|津波田三郎

◆能登国
土田|関|日置

二河頼重|淡路宗弘|左近五郎|岡津平六|城兄弟|佐竹

◆上野国
多胡家包|那和弘澄|物井五郎|小角六郎|西広助|高山重遠|小林重幸|秩父重隆|河越能隆

◆下野国
矢田義清

◆大和国
太夫坊覚明

◆相伴/他
土岐光長|大見光能|多田行綱|山田重弘|泉重忠|高田重家|浦野重遠|葦敷重澄
武田信義|安田義定|
山本義経|錦織義高|柏木義兼

◆女子
山吹|唐糸|葵|県妻
[60]空の青海のあをさんからのコメント(2019年07月26日 16時52分48秒 ) パスワード

もっと下に各人の詳細が載っています。


小室圭さんのご本家が藤沢の名家だという話ですが
恐らく
義仲に同行はしなかった小室さん


小室光兼 (こむろ みつかね)

滋野氏。太郎。小諸、忠兼(盛衰記)とも。
信濃国小県郡小諸に住す。

白鳥河原の勢揃〜横田河原合戦に参戦(盛衰記)。
北陸進軍には加わらず、鎌倉の軍門に下ったとみられる。

鎌倉の御家人に取り立てられ、木曽殿の妹(または娘)・宮菊の後見を仰せつかる(吾妻鏡)。




     恐らくこの小室家でしょう。
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