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 投稿番号:100312 投稿日:2002年06月12日 15時47分17秒  パスワード
 お名前:礫の紀平治
「緒環の章」緒方三郎惟栄と源為朝
キーワード:緒環 緒方三郎惟栄 源為朝 大蛇伝説 保元の乱 椿説弓張月
コメントの種類 :人物  パスワード

初めて参加いたします。よろしくお願いします。
実を言うと私は「平家物語」よりも「保元物語」派というか、「崇徳天皇」派なんですけれども、どうしても探りたいことがあっての書き込みです。
「平家物語」には「緒環」の章をはじめ、後半の所々に「緒方三郎惟栄(惟義)」が出てきますね。九州豊後の武将で、「平家太宰府落ち」、さらには「判官都落ち」まで、結構重要な人物ですがほとんど知られていないようです。
資料を紐解いても、養和元年(1181)から文治二年(1186)までのわずか6年間しか彼の足跡は見あたりません。
出年についても正確な記載はありませんが、渡辺澄夫氏の「源平の雄 緒方三郎惟栄」によると、2説あって、「豊前国緒方宗家系図」では大治二年(1127)とし、「三鱗三本杉」の著者木村高士の家伝では康治元年(1143)となっているようです。
私は前説をとるものですが、その場合、正史への登場年齢は54歳であり、前半生が見えません。そこでいろいろ調べるうちに解明しなければならないことが生じました。それは源為朝との関わりです。
為朝は保元の乱の前、6年ほど豊後(大分県)にいて、阿蘇の平忠国と手を組み北部九州を制圧しています。1149年〜1154年の間です。この時の緒方惟栄の年齢を逆算すると、22歳〜28歳です。
豊後国府と阿蘇氏の領地に挟まれた「緒方庄」の統領である惟栄が為朝と戦っていないはずはありません。しかも、後年、「平家物語」で活躍しているのですから敗死してもいないのです。しかし、為朝は一帯を制圧している。
とすれば、惟栄は為朝と戦い、降伏して配下となったと考えることが一番自然だと思うのです。
 源為朝と緒方惟栄の戦いの記録は今もって見つかりません。しかし、大分県由布岳山麓の為朝大蛇退治伝説や、佐賀県から長崎県に掛けて分布する為朝の黒髪山大蛇退治伝説などは、緒方惟栄の出生秘話である姥岳伝説(「緒環の章」で語られている大蛇の末裔伝説)と重なると思うのです。
もし、これが繋がれば、四国山中に忽然と現れる「為朝伝説(=崇徳逃亡説)」に俄然有利な展開が望めます。
「瀬を速み 巖に急かるる 滝川の 別れても末に 逢はむとぞ思ふ」の歌が四国山中の急流の中でしか歌えないと信じてやまない田舎ロマンチストの妄想かもしれませんが是非ともこれを証明してみたいのです。
 そこで、みなさんにお尋ねします。源為朝と緒方惟栄の関係についての説話や考察文献、あるいは、個人的な見解など何でもよろしいのでお教え願いたい。

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年06月12日 21時51分20秒 ) パスワード
  

礫の紀平治さん
初めまして。

つぶての紀平治さんとおっしゃいますと源為朝1番の配下ですね。 (^^)

源為朝と緒方惟栄の関係で引っ張りましたが良いのがありませんでした。
下記に1185年の緒方惟栄の話が載ってました。関係無いですね。



吾妻鑑より

http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/118510.html
1185年 (元暦2年、8月14日改元 文治元年 乙巳)
10月16日 乙丑
  豊後の国住人臼杵の二郎惟隆・緒方の三郎惟栄等、去年合戦の間、宇佐宮の宝殿を破却し神宝を押し取る。これに依って配流の官符を下さると雖も、去る四日非常の赦に逢うと。



緒方氏は大神氏出身で(←おおが氏)「古事記」の三輪山伝説と関係があるそうですね。

ご先祖が身体に蛇の尾の形のアザがあって、だから「緒方」氏を名乗った。
その5代目が緒方惟栄で、
初めは平重盛の家来だったのが豊後国地行国守の藤原頼輔に説得されて源氏方に転向した。


ここらあたりの九州の動向でしたら「源三どの」がお詳しいのでは?と思いますが。
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年06月12日 21時53分27秒 ) パスワード
  

源三どの E-mail=sagakyo@hotmail.com ですので
わたくしからも「つぶてどの」のご質問についてメールしておきますね。
[3]服部 明子さんからのコメント(2002年06月12日 22時03分52秒 ) パスワード
  

あらら・・・
戻って来てしまいましたよ。
変ですねえ。


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[4]礫の紀平治さんからのコメント(2002年06月13日 09時38分44秒 ) パスワード
  

早速の御返稿、ありがとうございました。
素敵なHPを見つけたと熱にうかされたように書き込み、よくよく全体を見てみると、桓武平氏血統の皆さんを中心としたルーツ系だったんですね。
もしかしたら場違いだったかもしれませんね。

でも、今では源平が恒久の仇のようになってしまっていますが、私のフィールドである「保元の乱」はすべてが「個」であり、源平に区分けがありません。
ある意味、みなさん仲良しグループの「ケンカ」なのですが、結果が悲惨だったのです。
私は「崇徳上皇」が今言われる「怨念の亡者」とはとても思えないのです。
でなければあの歌はとても読めないと思っています。
崇徳を怨念の世界から解き放ちたい。
そのために、それを蔭で支えたと思われる人々を確かめたい。
特に、緒方惟栄、河野通清・通信、三木近安といった、いわゆる「山人」がどう関わったかを知りたいのです。

もし、緒方惟栄が為朝と密接な関係があれば、「保元物語」の三丁礫の紀平治のモデルが緒方惟栄の可能性は高まります。
滝沢馬琴の「椿説弓張月」では紀平治は崇徳奪還を試みます。
史実と小説の混同のようにも思えますが、私の住む徳島には、この小説を裏付ける動かせない事実がいくつもあるのです。

さらに情報をお待ちします。




[5]源三さんからのコメント(2002年10月26日 17時22分45秒 ) パスワード
  

緒方氏のこと調べたいし、鎮西八郎のことも書きたいし肥前にも豊後にも
ゆかりだしね、筑後国人領主の堤氏家臣にも緒方氏いるし興味あるのちに筑後と東肥前
に一族は広まった、広島カープの緒方氏は佐賀出身だし、なるほど活躍してるしね。
為朝も調べねば。
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