くりらじ 近藤栄次朗 小川もこ
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
 投稿番号:100291 投稿日:2002年05月14日 21時45分38秒  パスワード
 お名前:服部 明子
亀ケ谷禅尼・中原親能・大江広元の関係

コメントの種類 :人物  パスワード

「平家物語の史跡を訪ねて」の中のちょっとした疑問に
俊寛僧都さんが貴重な情報をお寄せ下さいました。
更に川口さまがフォローアップを下さいました。
埋もれさせてしまうのは惜しいので新しくスレッドを立てました。

http://bbs.c-studio.net/heike_slink/100161_11.html

[1]服部 明子さんからのコメント(2002年05月14日 21時49分38秒 ) パスワード
  

俊寛僧都さんからのコメント(2002年05月13日23時17分13秒 )

E-mail=ikezuki@ex.isao.net
URL=http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/8811/



平家物語と平家琵琶に興味をもっているものです。

このコーナーの最初に亀ケ谷禅尼ってご存知?と書いてありました。
私もよく知りませんが、鎌倉の方でしたら亀谷(kamegayatu)という地名を
ご存知ありませんでしょうか。

吾妻鏡で亀谷と言いますと掃部頭中原親能(Kamonnokami
nakaharanochikayosi)を指していると思います。
亀ケ谷禅尼とは、親能の奥方かもしれません。

 親能と大江広元とは、義理の兄弟
 文治二年 京都守護職になりました。頼朝に信任が厚く、在京して頼朝
の意をうけ公家の間を奔走していました。
間違いかとは思いますが参考までに            
[2]服部 明子さんからのコメント(2002年05月14日 21時51分44秒 ) パスワード
  

川口 信さんからのコメント(2002年05月14日 12時33分03秒 )

   E-mail=shin341@m19.alpha-net.jp



  >親能と大江広元とは、義理の兄弟とありますが、

 正確には同父異母の兄弟です。

 
 詳しくは下記URLで斎院次官中原親能は:
  http://www2.ocn.ne.jp/~t-adachi/nakahara.html


 大江廣元は:
  http://www2.ocn.ne.jp/~t-adachi/o-e.html
[3]俊寛僧都さんからのコメント(2002年05月15日 21時59分27秒 ) パスワード
  

「赤間神宮の八咫の鏡見たことある人いますか」にコメントしましたら、Click Magazine エラーで送信できません。こちらにお邪魔させてください。


このコーナーもしばらく充電中ですね。
私も、参加させてください。私の手元に私が聴講している会の三種の神器の資料があります。参考になればと思い掲載します。
一. [八咫の鏡] 咫は中国の周の国の長さの単位で16cm。直径八咫の鏡は古代の技術では制作不可能。伊勢神宮の御神体とされているが、神宮側の記録(皇大神宮儀式帳)によれば直径約50cm程の鏡である。これと同一の鏡(要するに模造品?)が神器として宮中の別殿に祀られ、この別殿を賢所、内侍所と称したので、八咫の鏡のことを内侍所と言う。1005年と1040年の二度の火災で焼損して原型を失ったため、別の鏡(?)を祀ったという。

二、[草薙の剣] 熱田宮(明治維新後に熱田神宮) その昔、東夷征伐の旅に出た日本武尊は伊勢神宮にもうで、斎宮の倭姫から宝剣草薙の剣を授けられた。東夷平定後、武尊は伊吹の妖神を退治した後、病を得て没した。尾張の国造の娘であった武尊の妻は、この地に社を建立して草薙の剣を奉納したという。これが熱田神宮の起こりである。この宝剣は一度は宮中にとどめられたが、朱鳥元年(686)天武天皇の病気の原因がこの宝剣の崇りであるとのト占により、宝剣は熱田神社に戻され現在に到る。何人も見ることができないはずのこの宝剣を江戸時代、熱田神社の宮司が社家ら数人と見たという。それによると長さ約80cm、極めて特異な形の鉾型の白銅製の剣であるという。素戔鳴尊が八岐大蛇を退治した時、その尾を割いて得たもので、元は天叢雲剣と呼ばれた。後に日本武尊が東征の際に、敵に火攻めされた時、この宝剣で草を薙ぎ、向かい火をつけて難を逃れたので、改めて草薙の剣と呼ばれたという。

三、 [八坂瓊の勾玉] 八坂瓊(やさかに)とは「大きい、長い」ほどの意味で、八尺瓊の匂玉とは特定の宝玉の名称ではなく、大きな匂玉を長い輪にした装飾品と思われる。しかしその実体は全く不明であり、この勾玉を収めた筥を神璽(璽は本来玉印の意味であるが、中国で王位の証に印鑑を用いる事からこの勾玉を璽になぞらえている)というが、これも伝説の塊である。歴代の天皇さえこの箱の中を見ることを禁じられ、箱に積もった塵も払ってはならないとされた。『花園院宸記』によれば、箱は青絹で包まれ、紫色の網緒で四方から結ばれている。(あの)冷泉天皇が緒を解いたところ白い煙のようなものが立ち昇ったので畏れてやめたという。

四、三種の神器の損失                     ‘
平家都落ちの際、内侍所(鏡)、神璽(匂玉)、宝剣は安徳天皇と共に西下後、壇ノ浦で清盛の妻が「二位殿、先帝をいだきたてまつり、帯にて二ところ結ひつけたてまつり、宝剣を腰にさし、神璽を脇にはさみ、練袴のそば高くはさみ、鈍色の二衣うちかずき」という勇ましい姿となり、八歳の安徳帝諸共入水したとあり、海の底に沈んだが、神璽は波の上に浮かびあがり、片岡親経が取り上げた。宝剣は必死の捜索も空しく発見されなかったが、鏡(内侍所)は無事だったようである。

(小泉春明青陵短期大学助教授の資料より)
私は、平家物語のファンですので覚一本平家物語巻第十一 剣 同じく 鏡 、八坂本平家物語巻第十一 第百七句 剣の巻上 第百八句 剣の巻下 第百九句 鏡の沙汰 を資料としています。

話はかわりますが、赤間神宮八百年祭に後藤光樹先生が、平家琵琶を奉納されました。もし聞かれたかたがいらっしゃいましたら感想をお聞かせください。
[4]服部 明子さんからのコメント(2002年05月15日 23時23分07秒 ) パスワード
  

これは埋もれさせてはもったいないので新しいスレッドを立たせて頂きますね。
[5]足立 勗 (つとむ)さんからのコメント(2002年11月16日 19時02分53秒 ) パスワード
  

初めまして 足立です。
いろいろと楽しく拝見しています。
2002/05/14の服部さんのコメントで私のURLを紹介していただきましたが、
6月を以て一旦閉鎖し、11月1日から、下記URLで再開しています。
http://adachi-ke.hp.infoseek.co.jp
なお、私の研究は足立一族に関わるごく狭い範囲ですので皆様の期待に応えられるか判りませんが、これからも頑張りますのでよろしくお願いします。
[6]服部 明子さんからのコメント(2002年11月17日 04時00分18秒 ) パスワード
  

足立さま

初めまして。
新しいURLをご紹介頂き恐縮でございます。

足立氏
安達氏
同じく本姓藤原姓でも安達氏は陸奥、足立氏は武蔵国から西でございますね。

特に足立氏は
源平時代は源義平に仕え
戦国時代には美濃・尾張・三河あたり(美濃の足立氏は前田利家と一騎打ちの豪傑)
江戸時代には伊予で松山に名を残されましたね。


ここに埋もれてしまうのは惜しいので新しいスレッドでご紹介させて頂きます。
 【 平家物語を熱く語る!!一覧に戻る
この投稿に対する
コメント
注意  HTMLタグは使えませんが、改行は反映されます。
 http://xxx.xxx/xxx/xxx や xxx@xxx.xxx のように記述すると自動的にリンクがはられます。
お名前 (省略不可)
削除用パスワード (省略不可8文字以内)
メールアドレス (省略不可)
URL
 ホームページをお持ちの方のみURLを記入して下さい
◇Copyright(C) 2000 c-radio.net. All Rights Reserved.◇  DB-BBS-system V1.20 by Rapha. WEB design Rapha.