シャベリン(アーツ) 小川もこ 式日
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 投稿番号:100125 投稿日:2001年06月01日 19時41分19秒  パスワード
 お名前:そりちゃん
先祖を調べています:反田:石見:返田:大槻
キーワード:ご先祖を調べています
コメントの種類 :その他  パスワード

はじめまして。こちらの皆さんのお話の内容にはいつももの凄く
驚かされたり、勉強させていただいてます。
私は最近自分のご先祖を調査し始めたのですが、分家なので
なかなか思うように進みません。わかっているのは平家の関係らしい
ということと、曽祖父の代までは鹿島神社の神主をしていたということ。
家系図もあったそうなのですが、福島にあった本家は戊辰戦争のときに
焼き討ちにあってその時に焼失してしまったそうです。
ちなみに、姓は「反田(そりた)」といいます。福島には本家と叔父の
家の2件だけしかありません。家紋もと反田をアレンジしたものです。
身分を隠さなければならなっかったのかわかりませんが・・・。
平氏と鹿島神社は関係ないですよねぇ?
そして同じ反田の姓は中国地方に多いと聞いたのですが、出自をご存知の
方いらっしゃいませんか?

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[1]服部 明子さんからのコメント(2001年06月01日 21時33分24秒 ) パスワード
  

「反田さん」とおっしゃるのですか。
珍しいお名前ですね。
でも非常に日本的な読みですよね。

日本の名字って
元になる姓があって自由自在に変化してきましたから
遡るのは大変だって思いますよ。

でも「半田」さんとか←愛知県半田は元々は平氏系の土地です
「反町」さんとか
「反」の字をお使いの方もいろいろいらっしゃいますから
この方面からお調べになってもいいですね。


中国地方にいらっしゃって電話帳でお調べになってはいかがでしょうか?
東京でしたら全国の電話帳が揃ってるところがありましたし
図書館で置いてるところがあるかも知れませんし
鹿島神社に問い合わせてもいいですし

一生懸命調べていると吉報が向こうから飛び込んで来るようになりますよ。

県教育委員会などの発行する歴史書も参考になりますし
県や市町村の教育委員会も結構協力して下さいますよ。


1番良いのは菩提寺を突き止めて過去帳を調べて頂く事です。
それで明治初期の戸籍まで辿り付けます。
一族の事も広がって分かりますし。

いろいろやってみて下さい。
[2]川上 綾子さんからのコメント(2001年11月17日 00時20分14秒 ) パスワード
  

はじめまして、川上と申します。

実は私の旧姓も「反田(そりた)」と申します。
これまで同姓の方には、家族親戚以外にお会いしたことがありません。

私の父は山梨の甲府の出身です。
残念ながら、貧しい家にもってきて、歴史に興味のあるものがおらず
全く氏素性がわかりません。家紋もよく分らない有り様です。

以前、明治時代に編纂された名字辞典に
「反田:播磨の石見氏の分れ」
という記載を見つけたことがあります。
何故、播磨なのに石見なのか、今ひとつ謎ですが
こちらで中国地方に多いという話を伺って
何か糸口が見つかったような気がしています。

お邪魔致しました
[3]服部 明子さんからのコメント(2001年11月17日 00時43分24秒 ) パスワード
  

川上さん

初めまして。
貴重な情報をありがとうございました!
さっそく反田さんがご覧になって下さると嬉しいですが。


>「反田:播磨の石見氏の分れ」
>何故、播磨なのに石見なのか、

それでしたら
足利尊氏の友人播磨の赤松則村の重臣に
「浦上・喜多野・富田・小寺・中村・上原・堀・櫛橋・依藤・明石・薬師寺・小瀬・城所・石見・後藤・衣笠」
の諸家が並んでます。
[4]服部 明子さんからのコメント(2001年11月18日 23時04分02秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん:

スレッドのタイトルを1部変更させて頂きました。
「反田姓」の方から投稿がたくさん頂けるといいですね。
[5]さんからのコメント(2001年11月19日 12時00分44秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん、川上さん、どうもはじめまして。

持っている資料を見たのですが、私の先祖がいた備後(広島県東部)の向島にはあまり「反田」さんはいらっしゃらないようなのです。
でも現在、近くの三原市や山間部(島根県寄り)の三次市などには確かに反田姓の方がおられるようです。
読みは違うかも知れませんが(「たんだ」さんもいるらしい)。

ただし平氏系の「半田」さんなら向島にたくさんいらっしゃいます。
手元の資料では、
「同族の口碑によると半田姓元平田氏なり、
平田氏は平家の末裔、小早川に属して、
豊田郡沼田村(現・広島県三原市沼田)に住していたが、
小早川隆景死し、毛利氏長防(山口県)に去るに及び、
本島(向島のこと)津部田に来たり、
福島、浅野(何れも江戸時代の広島藩主)等源氏に対して平氏を隠すためと
一は毛利一族という名を隠すため、
平の字の上「一」を下に移して半田を名乗りたるものであると称し、
今も沼田村米山寺墓地に祖先を祭るものがあると同時に、
津部田五烏神社境内にその一族が小早川神社を建立しているものもある。」
となっています。

「半田」さん=「反田」さんかどうかはちょっと分かりませんが。

なお、小早川家の先祖は坂東平氏の土肥実平(源平合戦の時は源氏方についた)。
上記の沼田という所が小早川家の本拠地です。
戦国時代に毛利家から養子に入って小早川家を乗っ取った?のが小早川隆景です。
[6]服部 明子さんからのコメント(2001年11月19日 12時36分39秒 ) パスワード
  

向島の「半田氏」は平家の「平田家」の出身ですか。
そうすると伊賀の服部家長の兄弟の家継の一族になります。

大山田の平田を継いだ「家継」の一族でしょう。
壇の浦で滅びてから向島に落ち着いたのか?
やはり南朝方として向島に落ち着いたのか?
それは分かりませんが。

家継の一族は備後にも生き延びていたのですか。
姓を半田と替えて。

では「反田氏」とは違いますね。
[7]そりちゃんさんからのコメント(2001年11月22日 18時54分27秒 ) パスワード
  

服部さんメールありがとうございました!お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
私はここ数ヶ月間同姓の方にアンケートをお願いしたりこつこつと資料収集しておりました。アンケートを送って見たのは宮城・福島・茨城・栃木・群馬・新潟・千葉で
川上さんのように山梨県が本家という方が多かったです。ただ家紋はさまざまなうえ
詳しい言い伝えの伝わっているお宅は僅か2件でした。やはり明治以前のことはなかなかわからないようです。
ただ山梨以外の出身地に山口県熊野郡熊野町というお宅が何件か見られ、やはりもとは石見の地から発祥したのかな?と思う次第です。
宮城の方で元は「井戸」姓だったという口伝のある方がいらして、もともとは源頼朝の家臣で250石をもっていたが後に姓を変えられたというお話でした。
我が家も元は「樋口」で次に「長田」(おさだ)になり今の「反田」になったという話があります。でも詳しい文書などは戊辰戦争の時に燃えてしまったそうです。
(本家は福島です)
でも樋口だとすると木曽の義仲の家臣に樋口姓の人がいたようですが、平家にはいたのでしょうか?
でも、昔ってそんなに姓をころころ変えられたのですかね?
長くなってすみません。皆さんありがとうございます。また何か思い当たることがありましたらぜひ教えてください。よろしくお願いします。
[8]服部 明子さんからのコメント(2001年11月22日 23時19分25秒 ) パスワード
  

ご本家が福島でしたら宮城の井戸さんとご親戚かも?というのも有力ですね。「井戸」氏はもとは丹治<たじひと読む>党(または丹党)という武蔵7党の武士の1つで確かにお名前があります。武蔵の住人だったら源平合戦の時に当然源氏方に参加したと思います。丹治という人物は陽成天皇の時に秩父に流されて秩父氏を称したのだそうです。この分流の1つが井戸氏になります。後に丹治という人物は都に戻ったそうです。


樋口さんというお名前は役所の係りの1つにあったように記憶してますから結構古い名字と思いますよ。平安時代に樋口姓を称しているお公家さんもいるし。木曾義仲の乳兄弟の樋口さんは父親が「中原」という姓でご先祖は天武天皇だそうで木曾の豪族の家で義仲の父が殺された時の縁で義仲を育てたのだそうです。また樋口の弟は今井姓を使用してます。清和源氏六孫王経基(清和天皇の息子で陽成天皇の弟)の子孫にも樋口姓がいらっしゃるので義仲の乳兄弟の樋口は義仲の義兄弟であることからこの姓を称していると思います。また寺田寅彦の家は旧姓が吉村で物部氏出身で曽根連韓犬の子孫樋口・片岡と同族だそうです。(そねのむらじからいぬ、と読むと思います)

ですから昔の役職名を名字になさったのかも知れませんし
お公家さんのご子孫かも知れないし
清和源氏のご子孫かも知れないし
物部氏ご出身かも知れませんが、神主さんをなさっていらしゃったなら物部氏なんて重要ポイントですよね。鹿島神宮(神社)の神主さんと言ったらやっぱり氏素性がハッキリした家系のご子孫と思います。やはり鹿島神宮にお問い合わせも必要かも、です。


長田さんは上記丹治党にも長田さんがいらっしゃいます。それから桓武天皇の子孫の平良文の子孫三浦氏の分家にも長田さんがいらっしゃいます。それから清和源氏義家の3男の義国の分家に長田さんがいらっしゃいます。尾張の長田氏は平氏の子孫ですが源義朝に仕えてました。近江の佐々木氏にも長田さんという名前があって永田を使ってるけど正式には長田で登録しているそうです。「長」という字が縁起が良いからいろいろな姓氏に長田さんが存在すると思いますよ。

名字は本当にころころ変わるんですよ、日本の場合。中国や韓国は名字を変えたりいじったりしないけど日本は名字の複雑さでは世界1じゃないですか?タイは名字が長いですけど、そうやってアイデンティティがあるのだと思います。血の系譜だけでなく、日本の名字は地名だったりアダナだったり、先祖が記録を残さないことには子孫から遡って調べるのは難しいですね。


家紋の複雑さも名字同様難解と思います。家紋は一族の中で区別の為に差別の為にいじりますから目立つのが好きなご先祖がいらっしゃると思わぬ奇抜な紋を用いたでしょうから、それからエライ人から賜わったという事もありますし。


そりちゃんさんは一生懸命捜していらっしゃいますから、その内にご先祖さまの方からいろいろ教えて下さいますよ。
[9]さんからのコメント(2001年11月24日 09時44分04秒 ) パスワード
  

そりちゃんさんのご先祖様に関係あるかどうか分からないのですが・・・

上のコメントを拝見して一つだけ気付いたことがあったので、お知らせします。

アンケートで回答頂いた反田さんの中に、山口県出身の方々がいらっしゃるとのこと。
同県熊毛郡熊毛町(の事だと思いますが)は現在私が住んでいる町と同じエリアにあるので、ふと思いついてハローページを見たら、熊毛町に一軒だけ反田(そりた)さんがいらっしゃいました。

その方の住所が、「熊毛町樋口下大歳」となっています。

もちろんこれだけでは何とも言えないのですが。
名字は住んでいた地名から取って名乗ることが多いので、もしかすると「樋口〜長田〜反田」と姓が変わったそりちゃんさんのご先祖様に繋がる情報が出てくるかも、と思った次第です。

もしまた関係なかったらすみません・・・
けれど、これが何かの手掛かりになれば幸いです。
[10]そりちゃんさんからのコメント(2001年11月25日 11時23分30秒 ) パスワード
  

隈さんありがとうございます。でも熊毛町にも一軒しかないのですね。
いまのところ山梨県と広島県に50軒ぐらいづつあるのが一番おおいぐらいです。

ところで、樋口についてですが古代のどのような職業なのでしょうか?
水に関係しているとなにかで見たような気もするのですが。
そうだとすれば、うちの本家は四方を堀で囲まれていて(現在は埋めてしまった
ところもありますが)何か関係あるのかな?とおもったのですが。

ちなみに山口の方の反田さんは「そりだ」と読むそうです。

でも服部さんや隈さんのようにご先祖の手掛かりが残っている方が
正直うらやましいです。でも、わかっている方がいるのだという
ことを励みに今後も地道にがんばります!
[11]服部 明子さんからのコメント(2001年11月25日 13時36分55秒 ) パスワード
  

>うちの本家は四方を堀で囲まれていて

上記の隈さんの書き込みも背筋がゾッとしましたが
この<堀で囲まれていて>というのにもゾッとしました。

というのは私の母方の先祖の墓が周りを濠で囲まれていて
これは鎌倉時代の豪族の墓の造りと管理している教育委員会の掲示板に書かれていたからです。

「そりださん」の件は英語でも同じですが
Tの音は前に母音が来ることでDに変化するんです。

トヨタ自動車の豊田さんは本来は「とよだ」なんですが
濁音だからと「TOYOTA」にしてアメリカで売りに出しましたが
結局は英語でもTの前に母音があると発音は「トヨダ」なんです。

ですから「そりだ」さんは「そりた」さんと同じで
昔は日本語の表記に濁点が無かったので「そりだ」さんも「そりた」と言うわけです。
でも同じご一族と思いますよ。


「樋口」というのは「樋」のある所とか「水門」とか、そういう意味です。
ですから「水」を管理なさっていらっしゃったのかも、ですね。
私は古文は読めないのでよく分かりませんが
すごく重要な所を守っていらっしゃったお役人だったと思いますよ。
お公家さんの家も「樋口」姓を名乗っていらっしゃるのですから。
[12]服部 明子さんからのコメント(2001年11月25日 14時34分03秒 ) パスワード
  

樋口さんが物部氏出身というお話ですが
もうちょっと書かせてくださいね。

物部氏は日本に仏教が入って来る前は日本が神道でその神道を司っていた一族なのです。
ですから古代日本の凄い豪族でしたが
蘇我氏は仏教を信じていて
物部氏と大変な争いをしました。
大阪の四天王寺は当時を記念したもので蘇我氏の中心人物が聖徳太子です。
(だから聖徳太子は日本仏教の擁護者なのです)

という訳で戦いに敗れた物部氏は歴史から転落してしまいました。


だから職を失った物部氏は他の職業に就いたでしょうね。
神道が日本で勢力を盛り返したのは明治時代だと思います。
天皇家と結びついて神道が国教の地位を得て仏教は地に落ちました。

だから明治時代に神主さんになることは昔が物部氏のご出身なら当然だったと思います。

「反田氏」は石見氏から出ているというご指摘で
ちょっと思うところがあるのです。

鎌倉幕府崩壊時代に石見氏が散見出来るということは
その前に石見国の豪族かその関係者かな?と。

お隣の出雲国との関係までは分かりませんが
もともと神道が盛んだったのかも。つまり物部氏が勢力を持ってたかも。

石見氏がもとは物部氏のご出身だったら?!
物部→樋口→石見→長田→反田氏へ
というのは「長田」というのは「はせだ」とも読めるでしょ?それが詰まって「反田」になったかも。そして現在の「そりた」姓になったかも。

そりたさんというのは非常に高度な日本語の読み方だと思うのです。
謎々みたい。
身分を隠す為にそういう複雑な名乗りにしたのかな?と。


どこかできっと繋がって本当の由来がいつか分かると思いますよ。
ご先祖さまに話しかけてください。
どういう悲しい過去があったのですか?とか、楽しかったことは?とか。
なるべく大きな本屋さんには足を運んで立ち読みしてください。


私は昔の友人が大学で教えていたので待ってる間にその大学の図書館にいたのです。
あんまり面白そうな本が無いけど、1冊の本を偶然手にして読んでいたら
母方先祖が承久の乱で流されて亡くなった場所が凄い正確さで書かれていたのです。
もうびっくりでしたよ。
そしたら孫の一遍上人が訪問した時の絵と同じお墓が昭和の30年代に発見されてて
教育委員会が整備してくれてたのです。
そしてその碑を見に行った時に見た名前の人に手紙を出したら
その人も同じく河野家84代目だと言ってました。

私が思うに上記に書いた大学の教授のご先祖と私の先祖が関係あると。
向こうは老中だった稲葉(河野の子孫を称している)の関係ですけど。

良く分からないパワーが働くのですよ。
上記の教授とは学生時代クチもきいた事が無かったのです。
それがご先祖のことを調べていたら突然親しくなってしまって先祖の墓が分かってしまった。

このお墓が分かった当時はテレビを見てても河野氏関係の情報が向こうから飛び込んで来たのです。次から次へと。

だからご先祖の胸中になってみてください。なにか訴えて来ますから。
[13]さんからのコメント(2001年11月27日 13時13分36秒 ) パスワード
  

検索していたら下記のような図書館の検索結果の切れ端??が出てきましたが。

http://jupiter.lib.kyushu-u.ac.jp/namazu/micro/data/M3567.html

この方はそりちゃんさんのご親戚でしょうか?
確かご本家は伊達の養蚕農家だったと伺ったように思いますが。

だとすると伊達の「樋口」さんの中に由来を知っている人がいるかも??
なんてすいません、推論ばかりで・・・
「一つの説」として聞き流して下さいね。


>隈さんのようにご先祖の手掛かりが残っている方が
>正直うらやましいです。

いえいえ、私も分家筋ですから、はっきりしたことは何も分からないんですよ。
(探しているのは母方の祖母の実家の先祖です。)
現地の図書館から郷土資料のコピーを取り寄せて、その記述から「おそらく」平氏系だろうと思っているだけですから。
菩提寺も家紋も分からないけれど、明子さんのおっしゃるように「ご先祖様のパワー」に引っ張られてここまで来たという感じです。

だからそりちゃんさんもいつか必ず、ご先祖様が助け船を出して下さるに違いないと思います。
[14]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月02日 00時15分42秒 ) パスワード
  

隈さん、ありがとうございます。樋口姓の方の本だなんていろいろ
偶然があるものですね。
私もがんばって調べていこうと新たに決意を固めました!

ところでまた私の本家の話ですが、実は阿武隈川に
すごく近いのです。たぶん昔は氾濫とかよくあったと
思うので、推測ですがそれで「樋口」としてその地に
住んでいたのではないかと。

今度親類に調べてわかった分だけの家系図などを
送ってみようと思っています。
それで誰かが何かヒントをくれるといいのですが。

[15]服部 明子さんからのコメント(2001年12月02日 00時33分20秒 ) パスワード
  

>それで誰かが何かヒントをくれるといいのですが。

どなたかが何かご存じだといいですね。
(^^)
[16]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 00時20分21秒 ) パスワード
  

以前に発言いたしました、川上@旧姓・反田です。
皆様の発言、非常に刺激されてます。

ところで、前回書き忘れましたが、我が家は数代前までは
しんにょうのつく「返田(そりた)」でした。
この「返田」姓の方、いまも山梨では大勢いらっしゃいます。
この「返田」について、何かご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか。

また、以前に「反田」とは『焼畑の意』であるとの記載を見たことがあります。
[17]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 00時24分48秒 ) パスワード
  

蛇足めいた話で恐縮なのですが

私も独身時代はまともに名字を読んでもらえず困っておりました。
その読み間違いのうち、もっとも多かったのが「はんだ」なのですが、

興味深いことに、これまでに「反田」の字を用いて「はんだ」と読むものに
いまだめぐり合ったことがないのですね。

ひょっとして、「はんだ」は「半田」が殆どなのか…?
「反田」とくれば「たんだ」「そりた」なのか…?

そんなことも思ったりするのですが、如何でしょうか。
[18]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 00時40分58秒 ) パスワード
  

反田さんとは「焼き畑」の意味なのですか。
本当に読み方も意味も非常に日本語なのに日本人には難しいご苗字ですねぇ。

確かに「たんださん」とおっしゃる苗字も存在しないようですね。

ホントにご先祖さまはどういう経緯でお名乗りになったのでしょうね?
[19]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 02時11分47秒 )
  

本人によりコメントは削除されました。 2001年12月05日 02時20分31秒
[20]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 02時23分31秒 ) パスワード
  

「反田」で「はんだ」と読む名字はないのか、
などと書いてしまいましたが、先ごろ、検索していて
「反田(はんだ)」姓の人を見つけてしまいました。

しかし、字面が同じでも、読みが違えば、当然、氏としては流れが違うのでしょうね。
[21]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 06時00分04秒 ) パスワード
  

流れが違うと思いますね。

反田姓で「はんださん」がいらっしゃったのですか。
日本の苗字はホント難しいですね。

反を「そる」と読むのが難しいから「はんだ」「はんだ」と読まれるうちに「はんだ」と
名乗ることにしたかも知れないです。

だって「そりたでございます」と言って「え?どうやって書くんですか?」と
一々聞かれると面倒ですから。


愛知県出身で半田市出身で「半田」さんは考えられますけど、この半田さんが反田と書くとは思えないので、こっちのはんださんは半田で固定だと思います。
でも「反田さん」の「はんださん」はややこしいから易しい方に変えたかも。

ご縁があって知ったのですからメールなされば良かったのに。
出自を問うだけですから。


私の苗字の辞典には「半田」姓も載って無いのですよ。
でも私のクラスメートに「半田」さんはいらっしゃいましたが。

苗字って難しいですね・・・
[22]川上 綾子さんからのコメント(2001年12月05日 15時12分28秒 ) パスワード
  

服部さん、こんにちわ

「半田」にしても「反田」にしても、どうも昨今の苗字辞典に載るには
インパクトが足りないようで、私も何度ほぞをかんだことか…(苦笑)

ところで、山梨の「反田」姓には、
元はしんにょうつきの「返田」だったのではないか…?
と思しき家が多いようです。
(だからといって、全て「返田」→「反田」と変化したとは考えませんが)

このしんにょう付「返田」について、何かご存知のことはないでしょうか。
[23]服部 明子さんからのコメント(2001年12月05日 21時32分46秒 ) パスワード
  

「あ」から始まって
全部苗字を見てみましたが
載ってませんでした。
ひょっとして別な読み方で載ってるかもと思ったのですが。

反田さんのご先祖さまはヨホド謎なぞがお好きだったのでしょうね。 (^^)
それとも当時はそういう表現が普通だったのか?

「返田」でも田んぼをひっくり返す=耕作=って分かりますよね。=田んぼを作る。

稲作に関係してるから非常に日本的。
なのに!

「返田」さんは「反田」さんでは単純過ぎるからとしんにゅうをつけたかも知れません。
なにかソフィスティケートな理由で。


昔は漢字の使い方が緩やかだったのです。

私の母方の河野でも平家物語には川野とも書かれています。
人の名前の方でも「継」と「次」が混用されたり
私の先祖のなんとかのミコトでも
我が家は南朝方で「鳴」を用い北朝方は「嶋」を用いています。

最初私は自分の家の家系書を見た時(漢字が間違っている)と思いましたが
その差が我が河野家の南朝方子孫と北朝方子孫の区別だったんです。


反り返る、という言葉から
「我が家はもっとしっかり田んぼを引っ繰り返してるから」と「返田」さんにしたのかも。

ユーモアのある謎なぞ好きなご先祖さまのお姿が浮かびます。
本当に見掛けた方にお問い合わせになったら良いのですよ。
苗字にはどなたもプライドがありますから
ご存じでしたら教えて下さいますよ。

分かりましたら是非わたくしにもお知らせ下さいね。 (^^)
[24]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 08時54分16秒 ) パスワード
  

今いろいろ見てたら
弦巻紋使用者に「吐田」はんだと書いてありました。
[25]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 10時15分52秒 ) パスワード
  

半田氏は藤原氏出身が1つ出てました。
(藤原氏だけとは思いませんが)
[26]服部 明子さんからのコメント(2001年12月06日 10時18分03秒 ) パスワード
  

<24>補足

弦巻紋使用者に「吐田」はんだと書いてありました。
奈良県だそうです。

また弦巻紋は蛇の目紋と混用されるそうです。
[27]さんからのコメント(2001年12月06日 11時18分01秒 ) パスワード
  

地図を見たら、奈良県磯城郡川西町に「吐田(はんだ)」という地名がありました。

ちなみにこのすぐ南に「結崎」とか「保田」という地名があるんですけど。
また服部氏と繋がった??

すみません、脱線しました。
[28]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月09日 00時30分33秒 ) パスワード
  

ごぶさたしてます、そりちゃんです。
私は返田姓も反田姓と出自は同じなのではないかと考えています。

角川書店から出ている姓氏家系大辞典山梨県版の「反田」姓の
項目に一緒に載っていましたし、昔の人は本家に対して
分家とわかるようにわざと漢字を同じ読みで違う字を用いたり、
同じ字でも点を取ったりしたそうです。
また、私が集めましたアンケートの内容で数代前までは「そりた」と
読んだという方もいれば、うちは「そりた」だが本家は「そった」です
などの回答を下さった方が何人もいらっしゃいました。

どの方も読みを変えた理由は「きちんと読まれないから」でした。

「はんだ」と読む方は以外にも一件もありませんでした。
そりた・そりだ・たんだでした。

地名辞典によると反田は焼畑の意味のほかに山間部の傾斜地の田の
意味もあるそうです。
私は反田姓発祥の地は「山間部」と考えています。
そうすると山梨県はぴったりなのですよね。

反田姓は現在山梨と広島に約50件あり、そのほかは首都圏と
京都・奈良・鳥取・鹿児島・福島ぐらいです。

返田のほかに曾利田・曽利田・剃田・卒田・輪田ともかくようです。

山梨だと塩山市に反田は多く、返田は御坂町に多いと姓氏辞典に
ありました。

ただ、うちの本家のすぐ近くに「半田」という地名があるのです。
関係あるかはまだわかりませんが、昔「半田氏」がいたそうですし、
何かあるのかもしれないです。
[29]服部 明子さんからのコメント(2001年12月09日 02時18分50秒 ) パスワード
  

矢張り「反田氏」は読みが難しいのですねぇ。
刀の「反り」という言葉があるけど、これからますます読める人はいない時代になりますね。

でも「はんだ」とは読んで貰いたくない。読まれたくない。混同されたくない、というのは
伝わりますね。


でも随分分かりましたね。
>返田のほかに曾利田・曽利田・剃田・卒田・輪田ともかくようです。
曾利田・曽利田さんは「間違えずちゃんと読んで欲しい」というのがよく伝わりますね。
(^^)


かなり迫って来ましたよね。
石見氏との関係も分かるといいですね。
[30]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月11日 00時12分17秒 ) パスワード
  

こんばんわ、親戚に家系図を送ったら本家の叔父が
協力を快く引き受けてくれました。

とりあえず、過去帳を移して送ってくれたのですが、なんと
寛文年間からのものなのですが、「大槻」姓なのです!

そして安政年間の米箱に「反田魚店」とあるものが残っている
そうで、そのあたりから「反田」姓になったのではないかとの
ことでした。

でも、叔父いわく過去帳にはいろいろな姓の方が記載されており
いまとなってはどのような縁なのかわからないとのことでした。
有縁無縁すべてのっているのかな?

なんだか、また振り出しです、クスン。
[31]服部 明子さんからのコメント(2001年12月11日 00時36分29秒 ) パスワード
  

寛文年間って1661年からですね。
「大槻」氏ですか・・・
藤原姓も平姓も、その他にもいくつか流れがあるそうですね。
で、江戸末期に「反田氏」登場?


過去帳なんて貴重な資料を見せて頂くのですから
いよいよご先祖さまと対面ですね。


でも「事実」が記載されてる訳ですから
1番信頼性が高いと思います。
頑張って難しい漢字と格闘して下さい。
[32]源三さんからのコメント(2001年12月11日 06時36分27秒 ) パスワード
  

宮城(仙台)の半田姓は伊達氏一門。
ゆえに、藤原北家魚名系中蔭流。
[33]さんからのコメント(2001年12月12日 11時36分54秒 ) パスワード
  

以前明子さんがご紹介されていた、各地の伊藤・伊東氏の解説の中に、こんな記述がありましたよ。

会津の伊藤氏
河沼郡野沢本町館跡、大槻館と云う、延徳の頃、伊藤長門守盛定と云う
もの住して大槻氏と称す。又、古坂下村館跡、天正十年伊藤勘解由住す
(新編風土記)と。又、伊藤大膳、大沼郡黒澤館(往古 伊藤駿河某と云
うもの住す)、耶麻郡塩谷村熊野宮神職 伊藤近江(その先を日向政国と
称す、享保中 この社の神職となる)等見ゆ。大槻城主 伊藤長門守藤原
盛定は、如法寺の記禄に見ゆ、安積大槻の伊藤氏と同族ならんかとの説
あり、舟津四村の領主なりしとぞ。
西田面村興泉寺、至徳中 安積郡横澤の地頭、伊藤右金吾某、草創す。文
亀元年 蜜侶弘盛 居住し、天正十九年右金吾の遠孫・藤三郎某、伊達政
宗に属せしより寺産を失いしと云う。
[34]さんからのコメント(2001年12月12日 11時43分19秒 ) パスワード
  

安積の伊藤氏
中地村小倉山館(一に鶴島城)は伊藤氏代々の居城にして、天正の頃薩
摩守盛恒居住し、そのほとり多くを領す。伝説に依れば、盛恒、天正十
七年 横澤彦三郎と戦いて敗れ、福良村に奔り、再び戦いて討死にすと云
う。又、本郡大槻館は伊藤将監高久、その子 高行の居城にして、高行は
永禄五年卒去、長泉寺にその牌ありと。又、赤津村館蹟伊藤弾正築く始
め名馬城と称すとなり。安積伊藤の族なるべし仙道雑記に片平村城主伊
藤大和守と申すは、工藤左衛門祐経の次男 伊藤六郎左衛門助(祐)長の
後なりと。(新編会津風土記に鶴山館、いつしか伊藤氏の築く処と云
う)。
[35]さんからのコメント(2001年12月12日 11時45分10秒 ) パスワード
  

上の記述はこのスレッドにありました。

http://bbs.c-studio.net/heike/100016.html
[36]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月12日 18時48分02秒 ) パスワード
  

源三さんも隈さんもありがとうございます!
今日図書館にいって調べてきました。

大槻姓は秀郷流藤原姓波多野氏流・清和源氏井上氏流・丹波藤原姓・
藤原姓伊藤氏流・田村氏流・桓武平氏葛西氏流・清和源氏土岐氏流が
あるようです。
このうち我が家に関係すると思われるのは伊藤氏流・田村氏流そして
亡祖父を信じて葛西氏流でしょうか。

叔父によると鹿島神社もうちの氏神として祭っていたので、うちは
神主ではないそうです。
由来がすごいんですけど、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、村民に
とても親切になり、この平和が続くようにとのことで鹿島神宮から
遷宮したと口伝があるとのことです。
延喜式の鹿島神社だ、と叔父は申してました。神社の額に延喜式
内社(?)とあるそうです。
本家のある土地の「大槻」姓を電話帳で調べましたら50件ぐらい
ありました。過去帳の一番古い記載は寛文8年(1668年)
なので、そのころから住んでいたとすれば親戚がそのぐらいいても
おかしくないと思います。

しかしご先祖の謎謎はとてもムヅカシイ・・・

何かヒントをと思っていても最近は情報が飛び込んでくることも
あまりなくなってしまい、もういいよ、ということなのかなぁと
少し意気消沈気味です。

でも、2歳の息子を抱えつつ図書館へ、本屋へと
がんばります!
[37]服部 明子さんからのコメント(2001年12月12日 21時50分30秒 ) パスワード
  

<33>

<大槻さんを調べていたら>本姓藤原氏俗姓伊藤さんが出て来ましたか。
ばっちり平家系ですね。
盛がついてたり長門守がついてたり。

ここでも反田さんと私達が繋がりましたか?>隈さんやぁ〜


ところで延徳年間というのは南朝方の年号ですね。
1489年の8月から始まるそうですよ。

ここでも南朝方で繋がりましたね>隈さんやぁ〜


ホント「平熱名物オカルトシリーズ」面目躍如ですねぇ。
[38]さんからのコメント(2001年12月13日 11時11分07秒 ) パスワード
  

>隈さんやぁ〜

はい、お呼びでしょうか? (^_^)

ね、平家系でしょう?
伊藤氏はもともと「藤原」姓だけど、平家の家人になって「平」姓を名乗ったこともあるんでしたよね?

>ところで延徳年間というのは南朝方の年号ですね。

しかも会津の伊藤氏は、南朝遺臣だった訳ですね。

やっぱり、これは何かありそう!?
[39]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月13日 16時31分28秒 ) パスワード
  

不勉強ですみません、平氏系なんですか?
藤原氏なのか〜と思ってました。

そうそう本家の叔父が現在「反田」の字をアレンジして使っている
家紋をコピーして送ってくれました。
想像していたものよりも複雑で、ええって感じでした。
送り方がよくわからないのですが、なんとか服部さんに送りますね。

本家は昔陣屋で代官の家来の人が泊まったりしていたそうです。
下男下女もいたようなので、過去帳にある姓の違う方たちは
その人たちかなと推測しています。

また、近所の「大槻」姓の家と付き合いがあるのは
一軒のみだそうです。

しかし、大きなヒントを得られて嬉しいです!
服部さん隈さんありがとうございます!
[40]服部 明子さんからのコメント(2001年12月13日 23時11分06秒 ) パスワード
  

>平氏系なんですか?
>藤原氏なのか〜と思ってました。

いいえ。
「平氏系」ではなくて「平家系の本姓藤原姓・俗姓伊藤氏のちに大槻氏さらに後に反田氏」
ということです。


藤原姓は日本最大の姓を擁する大族で
大きく分けて貴族系と武士系があり
武士系は殆ど下野国の藤原秀郷公のご子孫でいらっしゃいます。

1000年ちょっと前の平 将門の乱の時
藤原秀郷公が平 将門の従兄弟の平 貞盛の味方をして将門を討ちました。

藤原秀郷公のご子孫で伊豆の狩野に出た一族が更に伊勢に行ったのが伊藤氏で
平 貞盛の子孫が伊勢・伊賀に移った子孫で大繁栄をもたらしたのが平家の清盛で
伊藤氏と平家は伊勢・伊賀で再び盟友関係になったのです。

源 義朝が清盛の留守にクーデターを起こした時、押さえたのが伊藤(古市)氏ということです。
伊藤氏は清盛一族には命の恩人・繁栄を守ってくれた存在です。
別にスレッドを立ててありますからお読み下さい。

伊藤氏は平家の一門として軍事を担当していました。
ですから伊藤氏は藤原姓も名乗ったり平姓も名乗ったり伊藤氏も名乗ったりしています。


「ウチは平家系の本姓藤原氏」と言ってる内に「平家系」の「系」が取れてしまい
「平家」になりさらには「平氏」に混乱していくのです。


ですからそりちゃんさんのお家は本姓藤原姓俗姓伊藤氏の系統で大槻氏を経て現在反田氏を名乗っているということだと思います。


使用人は過去帳には入れないと思いますよ。昔は身分の差がハッキリしてましたから。
ご一族だと思いますよ。
血の繋がった一族でしょうね。
[41]服部 明子さんからのコメント(2001年12月13日 23時29分39秒 ) パスワード
  

南朝方の伊藤氏と言ったらズバリ伊勢の伊藤さんになりますね。

明治維新以降明治政府の介入で徳川氏を否定する為歴史的価値を地の底に落とされた
「浪合記」という合戦物がありますが
この本には後醍醐天皇の8番目の皇子である宗尊親王を戴いて
伊勢や尾張の武士が長野の浪合村まで転戦したお話が書かれています。
(勿論新田さんのご家来衆のお名前も出て来ます)

この中で後醍醐天皇の吉野朝の忠臣を
5名家7名字11名?と讃えていますが
服部家は7名字の1つで
伊藤さんは確か本姓の藤原姓で5名家に入れられているのを読んだことがあります。

浪合記には他の分類として「庶公家」「庶貴族」?などの呼び方もあって←迂路覚え
これは(例:桓武天皇から独立して出来た家=平氏)などと
その出自を改めて記録してるのだと思います。

南朝方伊藤氏でしたら伊勢の平家系の伊藤さんだって事までハッキリ分かります。
確か北畠顕家が東北に堅固な城を築いて頑張ってましたよね。
その時に東北に残ったのかも。
戦国時代の伊勢の国守は北畠具教という人物です。

戦国時代は北畠さんを中心に伊藤氏も服部家も信長に対抗していました。
さちこさんとこは現代に至るも伊藤さんとこと関係がありますね。
だって当然よね。
同じ涙と血を分け合い流し合って来たのですから。
[42]さんからのコメント(2001年12月14日 13時11分33秒 ) パスワード
  

>でも、2歳の息子を抱えつつ図書館へ、本屋へと
>がんばります!

そうですかぁ〜

実はうちにも小さい娘がいるのですよ。
といってももう4歳ですけど。
でも、図書館に連れてって「おとなしくしろ」
と言っても聞くような子ではない…(T_T)

という訳で、娘が幼稚園へ行くようになったら、
その隙に図書館へ行こうと目論んでいる私。(^^;

そりちゃんさん、お互い頑張りましょうね。
[43]さちこさんからのコメント(2001年12月15日 10時20分38秒 ) パスワード
  

服部家の系図のなかに戦国時代の記録で
一族の住するところというのがありますね。(12〜13枚目位)
三十数ヵ所の村の中に上反田、中反田がありますが・・。
これは何か関係があるのかな?
これだけでは何処のことなのか判らないし。
話をややこしくしてしまったらごめんなさい。
[44]服部 明子さんからのコメント(2001年12月15日 20時55分58秒 ) パスワード
  

「戦国時代の記録にも<矢筈車は服部>と見え、
一族の住する所は
<服部・羽根・高畠・荒木・寺田・千蔵・佐奈具・槙山・比土・古郡・猪田・神戸・四十九院・阿保・別府・柏尾・岡田・寺脇・川上・諸木・沖才・良依・那具・市部郡・上友生・下友生・西村・西明寺・内保・上反田・中反田・古山・七郷>の村々なりという」

ですね。
そうすると昔は伊賀にお住まいだった?
平家系の藤原姓伊藤氏でしたら当然でしょうね。
[45]服部 明子さんからのコメント(2001年12月15日 21時08分58秒 ) パスワード
  

ちょっと地図で調べて見ましたが
上記の土地は今でも殆ど残っていますが
反田は載ってませんが・・・

伊賀上野+名張地図と三重県地図でその近辺も見て見ましたが。
[46]さんからのコメント(2001年12月16日 09時51分50秒 ) パスワード
  

唯一「反田」の名残かな?と思ったのが、上野市の松尾芭蕉生家近辺の「平野六反田」という地名でしょうか?
で、その西隣が「平野樋之口」なんですよね・・・
それから近くに長田<オサダ>地区はありませんが、長田<ナガタ>地区なら上野市内に存在します。

実は以前からこれは??と思っていたのですが、「樋口」や「○反田」という地名は結構全国あちこちにある様なので、書かなかったんですよ。
単なる偶然だと、混乱させてしまうかなと思って。

でも、過去帳によると江戸時代までは「大槻」姓だったのですよね?
う〜ん・・・

考えられるケースとしては、

@江戸時代までは「大槻」姓だったが、福島に存在する「反田」という地名からとって名を変えた。
(例えば福島県二本松市にも「反田」があります)

A他の土地(例えば伊賀)で「樋口」〜「長田」〜「反田」と名前を変えた後、何らかの縁で「大槻」家に入って後を継いだ。

とか???あ、余計混乱してしまった・・・すみません。m(_ _)m
[47]服部 明子さんからのコメント(2001年12月16日 11時23分58秒 ) パスワード
  

A他の土地(例えば伊賀)で「樋口」〜「長田」〜「反田」と名前を変えた後、
何らかの縁で「大槻」家に入って後を継いだ。

これは凄いですね!
伊賀の地名を網羅してますね。
(^^)
[48]さんからのコメント(2001年12月17日 12時12分13秒 ) パスワード
  

ちょっと無理がありますかね… (^^)ゞ

そりちゃんさん、勝手に憶測立ててすみません。
[49]さちこさんからのコメント(2001年12月17日 12時34分03秒 ) パスワード
  

探してみたら阿山町に上友田、中友田、下友田なんて地名がでてきました。
もしかして友を反に間違えて書き写したとか?
なんかそんな感じがします。
ごめんなさ〜い。

上野市に治田と書いてハッタという所があるのですが、
長田と書いてオサダと読むのになんか関係ありそう。
[50]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月17日 21時58分48秒 ) パスワード
  

うーん、皆さんの推理合戦すごいですね!
でも本当に伊賀の方の出身なら凄い縁で偶然このサイトに
巡り会ったということになりますね。

いま私は叔父の書き写してくれた過去帳と戦っています。

農家のはずなのに名を襲名していて、しかも何代とか書いて
ないので、ごちゃごちゃです。
女・子供は名前の記載がほとんどないし、姓の違う人もたくさん
のってるし・・・

そして最大の謎は嘉永元年から慶応3年まで記載がないのです。

21年間ほんとうに誰も死亡しなかったのか、そして
「反田」姓にかわった秘密がこの21年間に
かくされているのかは、いまとなっては知るすべがないのですが。

今後は山梨の「反田」姓の方にアンケートして
その後本家の叔父がいいよといえば
本家周辺の「大槻」姓のかたにアンケートとろうかと
考えています。
[51]さんからのコメント(2001年12月18日 10時51分17秒 ) パスワード
  

>そりちゃんさんのコメント
>農家のはずなのに名を襲名していて、

私も詳しくはありませんが、
由緒ある郷士(昔は武士だったけど帰農したような)にはよく見られることではないでしょうか。
良いお家柄の証拠でしょう。(^^)

>そして最大の謎は嘉永元年から慶応3年まで記載がないのです。

確かに、この「間」は気になりますね・・・
江戸末期、ご本家に何があったのか?
「大槻」姓の方々の中に、当時の事情に詳しい方がいらっしゃるといいですね。

****************

>さちこさんのコメント

>探してみたら阿山町に上友田、中友田、下友田なんて地名がでてきました。
>もしかして友を反に間違えて書き写したとか?

と言われて思い出しました。
私、以前に「姓氏家系大事典」(大正時代に編集された古い本)の<ハトリヘ=服部>の項を図書館でコピーしてたんです。
それを見たら、出典が同じと思しき文章がありました。
確かにこちらでは「上友田、中友田」となってます。

ちなみに、「姓氏家系大事典」では下の様に記載されてます。

服部一族の村々は
「服部、羽根、高畠、荒木、寺田、千歳、佐奈具、槇山、比土、古郡、猪田、神戸、四十九院、阿保、別府、柏尾、岡田、寺脇、川上、諸木、沖戈、良依、那具、市部郡、上友生、下友生、西村、西明寺、内保、上友田、中友田、古山、七郷」なりと。

『千歳』と『沖戈』も違ってる様ですので、参考までに。
[52]服部 明子さんからのコメント(2001年12月18日 11時39分11秒 ) パスワード
  

隈さん

では註をつけておきます。
ありがとうございます。
[53]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 02時49分33秒 ) パスワード
  

友田で余談ですが、私も会社に就職したときに印鑑を間違えて
つくられたことがあります。
似てますものね。「友」と「反」って。

ところで、「反田」姓についてですが、私の父がまたへんな事を
いいだしまして、亡き祖父に明治天皇が行幸されたときに
拝名したって聞いた、と。(TT)
ああ、父よ、本当なのかよ(怒)、まったく!
もう、どこまで本当なのかわかりませんね。

ところで、私の実家のほうに平良兼と関係のある神社が
あったのです。
いままで全く知りませんでした。
良兼といえば長田流がありますよね、すごい偶然だな、と
びっくりしました。

いまその周辺は「屋形」という地名で呼ばれていて、
昔は大きな屋形があったことを創造させる地名です。
[54]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 03時00分16秒 ) パスワード
  

そうそう過去帳についてですが、何人かお坊さんが
載っているのです。
「××寺 十五世 閑居」というように書いてあります。

その他に戒名に××法師などもあります。

その××寺はうちの菩提寺なんですよ。不思議です。

不思議といえば、小学生の頃音楽の先生に
「一の谷の戦敗れ 討たれし平家の言のは哀れ」という
歌を習ったのを思い出しました。
強烈に侘しさとかを感じたのを覚えています。

過去の話題を読んでいて気になったのですが、
うちの主人は源氏なのですよ。満政流です。
でも、本家が福島というつながりです。

これも、血が呼んだっていえるのかな・・・
[55]服部 明子さんからのコメント(2001年12月21日 12時03分16秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん

苗字を拝領するって、よくありますよ。
私の遠い親戚も?武勇を誉められて、戦う事赤い血の星を浴びるが如く、ということで
「赤星」という名を拝領したとか
源頼朝でも安房に上陸した時世話になった漁師達に名を与えたり
他にもよく見掛けますよ。

ですから明治天皇に苗字を頂いたというのアリだと思いますよ。
私の知ってる人に明治天皇の御落胤という方がいらっしゃって
昭和天皇の行幸の時には私服の警察が来てました。
明治天皇は今時の昭和天皇や平成天皇とはだいぶ違うように思いますし
苗字を頂くというのは当然「アリ」だったと思います。

良兼流「長田」氏が出て来ましたか。
そして「一の谷」を聞いて胸が締め付けられた思い?

普通日本人って平家を軟弱だって嫌に思ったり源氏が勝者だから好きだったり
または
平家に「あはれ」を感じるか

でも平家に同情するのって小学生ではなかなかだと思います。
私は100%同情した事無かったです。
自分の苗字が平家だなんてアメリカ人の夫と結婚してから知ったのです。
夫が平家を好きだったから。
アメリカ人の夫が自分は平家の蟹だったなんて言うのを聞いてからです。
[56]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月21日 12時48分07秒 ) パスワード
  

服部さんは国際結婚されてたのですね!
ロスにいらっしゃるのに本当に歴史に詳しいですよね〜。
私もがんばりますね。
でも平家物語は長い上に昔の言葉がわからなくて
図書館で借りようと思ったのですが断念しました。

そこでご紹介のあった漫画版を購入しようかなと考えています。
これなら低価格だしダンナにも怒られないかも。

明治天皇のご落胤ですか!
明治時代ってきっと現代とはかなりかけ離れているのかも
しれませんね・・・

平家に関して何か縁があるといいのですが。
なんだか、どんどん別の方向にいってしまっているような
何が確信に近いのか、どんどんわからなくなってきています。

わざわざスレッドたてていただいたのに、実のある話が
できなくてスミマセン。
もっときちんと勉強しますね。
[57]服部 明子さんからのコメント(2001年12月21日 23時52分20秒 ) パスワード
  

そりちゃんさん

そうなのです。国際結婚です。
平家に興味は100%無かったのです。
それがアメリカ人に「自分は昔水の中に住んでた」「蟹だった」「平家だった」なんて
言われて(何なの?この人!おかしいんじゃないの?とんでもない人と結婚したのかしら?)
と思ってました。

だって我が家が平家なんて誰も言わないし
我が家にとって平家は日本の歴史に存在してないも同然の扱いだったのです。
母が自分の先祖は源氏方武士だった(+源頼朝と相婿だった)というのが自慢でしたから。
源氏でなきゃ存在価値が無いという家でした。

父は若い時に伊賀に何度も出掛けていたそうですが
何も感じなかったそうです。
多分今でも自分が平家の子孫なんて信じていないでしょう。
実感が無いですから。

ある時突然私は確信が持てて歴史的事実が後からついて来たという具合でした。
向こうから降るように情報が入って来ました。


そりちゃんさん

お寺さんって過去帳に書かれているお寺さんは浄土真宗でしょうか?
今の信仰してるお寺さんじゃなくて。
もし浄土真宗=一向宗でしたら
いよいよ伊勢系の流れだと思いますけど。
伊勢長島の一向一揆のことですが。

まだまだモツレてますね〜
[58]そりちゃんさんからのコメント(2001年12月30日 15時01分05秒 ) パスワード
  

子供が水疱瘡になってしまいました。しばらくバタバタしていたので
遅くなってスミマセン。

我が家は真言宗豊山派だそうです。菩提寺も寛文年間の創設らしいです。
そのあたりのことはやはり現地にいって調べてこないとわからないのでしょうね。

来年は磐木・岩代国での大槻氏の情報収集と伊勢平氏について
勉強しようと思っています。

ダンナ様はとてもユーモアなかたですよね。蟹だった!なんて(^^)
でもすごい縁ですね!

私もアンテナ磨いて来年こそ、といきごんでます!

今年は何かと教えていただいてありがとうございました。
隈さん、さちこさんもありがとうございました。

来年も引き続きよろしくお願いします。よいお