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| [1] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 05時21分51秒 ) | パスワード |
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p。560チャプター「マルタクロスから切り竹矢筈」
観世家は平宗清の末で、伊賀阿拝郡服部から起こったとして服部氏を名乗り
後に大和城下郡結崎(しきのしもゆうざき)を領して結崎氏に改めた。
「矢車紋」は伊賀服部氏の代表紋で
その一門は各種の「矢車紋」を用いているが
その末という観世家も「12矢車紋」を家紋とし、
その門から出た宝生家も「八つ矢車紋」を用いた。
| [2] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 05時30分16秒 ) | パスワード |
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「矢紋」は矢そのもの、あるいは矢羽(やばね)・矢筈を図案化したもので
40〜50種に及ぶ。
江戸期の大名では、
「○に矢筈紋」を豊後佐伯藩主毛利氏が
「鶴丸」「五三の桐」と併用。
遠江掛川藩主太田氏が「違い鏑矢」を
「丸に桔梗」と併用した。
摂津能勢郡能勢郷に起こった能勢氏のように
初め「12目結い紋」を用いていたのを
キリシタンに帰依して「マルタクロス」に改め
更に禁教後、その名称を「切り竹矢筈十字紋」と変えたような例もある。
| [3] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 05時40分59秒 ) | パスワード |
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矢紋または矢羽紋の旗本:
深溝松平・荒川・岡田・小宮山・長沢・橋爪・恒岡・太田・
粟津・蜂谷・広瀬・矢田堀・浅香・加藤・桑島・古川・矢葺・
木村・横田・滝野・服部・神部・久留・三島・矢部・丹羽・
宮本・佐藤・菅沼・松田・石尾・荒木・狩野・松本・久隅・
毛利・岩間・江原・日下部・可児・荻生・勝
矢筈紋の旗本:
蓑・服部・上田・稲森・能勢・進藤・伊丹・春田・八頭・小川・
岡村・団・井田・大岩・木原・福守・大久保・斎藤・久保・
桑島・井上・福井・毛利・谷口
| [4] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 06時01分00秒 ) | パスワード |
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矢紋姓氏別:源氏=g 平氏=h 藤原=f 物部=m
深溝松平g・荒川g・岡田g・小宮山g・長沢?・長坂g・橋爪g・恒岡g・太田g・
粟津g・蜂谷g・広瀬g・矢田堀h・浅香f・加藤f・桑島f・古川g・矢葺g・
木村g・横田g・滝野g・服部g・服部h・神部h・矢田堀h・太田h・久留h・三島h・
矢部f・丹羽f・宮本f・佐藤f・菅沼f・松田?・石尾f・荒木?・狩野f・
松本?・久隅f・毛利?・岩間f・江原・日下部・可児・荻生m・勝m・木村g・
| [5] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 06時06分06秒 ) | パスワード |
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矢筈紋姓氏別:源氏=g・平氏=h・藤原=f・服部=ht
蓑g・服部g・上田g・稲森g・能勢g・進藤g・伊丹g・春田g・八頭g・小川g・
岡村h・団h・井田h・服部h・大岩h・木原h・福守h・大久保f・斎藤f・久保f・
桑島f・井上f・福井f・毛利f・谷口f・服部ht
| [6] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 06時14分33秒 ) | パスワード |
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上記最後の2つの姓氏別は別な本「家紋家系事典」昭文社発行を見て書き加えただけですが、
この苗字の並び方が2冊に共通して殆ど一緒だったことに驚きました。
出典が限られているからでしょうが?の付いてる苗字の姓氏は前後と同じと思います。
よく整理されていて驚きましたが、
それだけ姓氏だの家紋というのは、日本人のアイデンティティだ、と納得出来ました。
| [7] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月14日 08時01分50秒 ) | パスワード |
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気が向いたら「切り竹矢筈」紋の画像をアップします。
自分のHPにハワイから戻ってからまだ行ってもいません。
「呆れしも 自分も行かない HP」
なぁ〜んちゃってぇ〜。
多分もうどうやってやるんだったか覚えてないと思う。
| [8] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月28日 00時12分54秒 ) | パスワード |
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服部 孝徳さんからメールを頂きました:
我が家の家紋ですが、
本によっては「丸に並び切り竹」ということで
竹のところに分類されてある場合もあるようです。
個人的には矢筈紋であると思うのですが。
尾張藩士の家系図集である「士林泝�゙」を
少しだけ調べてみました。
院試前なので本当にちょこっと調べてみた程度ですが。
士林泝�゙には「丸に並び切り竹矢筈」の服部家は三つ載っていました。
1、村瀬九兵衛勝吉という人の子供が服部彦助玄忠という人で、
母方の姓を名乗って服部と称した。
2、那須玄行の甥の玄水という人が医師として尾張徳川家に仕えた。
3、服部義兵衛直貞という人が二代藩主光友の時代に甲州流軍学者として
召抱えられた。
以上の三つが「丸に並び切り竹矢筈」を使っていました。
他に「丸に竪て三つ切り竹矢筈」を使っている服部家もありましたが
関係が何かあるのかよく分からないです。
ちなみに尾張藩士の服部家には「源氏車に並び矢羽」の服部家が他にあります。
こちらは半蔵正成の兄の保俊の孫保重に始まる家です。
服部直貞という人については他の本に少し載っていたのですが
(これも流し読みしかしてませんが)尾張藩に来る前は江戸で浪人生活をしていたよ
うです。
加賀藩の家老の家柄の次男だとかなんとか。
そこで大学の図書館にたまたまあった加越能郷土辞典を引いてみたところ、
服部土佐守という人が千五百石で前田家に仕え、その子与市が浪人、
その子彦左衛門が新知を得て岡野氏を冒した。
服部土佐守の子、服部出雲守も前田家に仕えて村瀬平右衛門と名前を変えた。
なんてことが載ってました。
土佐守は正栄という名前で尾張中村の出で秀吉に仕えて馬廻を務めたようです。
関ヶ原の前には一万石を領していたのですが、
関が原で西軍につき戦後前田家に仕えたようです。
いかんせん一日二日で調べたことなので
服部土佐守が服部直貞と関係あるのか、
村瀬家と服部家の関係はどういったものなのか、
我が家の先祖が三つの服部家のうちどれなのか、などわからないことだらけです。
院試が終わってからまたじっくり調べたいと思ってます。
| [9] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月28日 02時48分43秒 ) | パスワード |
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>士林泝�゙
士林泝�゙が文字化けしていますね。
武士の「士」+「林」+排斥の「斥にサンズイヘン」+徘徊の「徊がサンズイ扁」
私の漢字にはないのでこれでご理解頂けるでしょうか?
それとも他の人のマシンではちゃんと見えてるのかも知れませんね。
| [10] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月28日 02時51分21秒 ) | パスワード |
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>「士林泝�゙」
の4つ目の漢字はまだ文字化けしていますね?
ちょっとやってみましょう。
�゙
さて出ますでしょうか?
| [11] | ![]() | 服部 明子さんからのコメント(2000年08月28日 02時53分58秒 ) | パスワード |
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よけい変になってしまいましたね。
私の漢字のファイルに無い文字なので
<9>を参考にしてご自分のマシンで引っ張って下さい。
私のマシンだけの問題でありますように。
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